このブログでは、ずっと、というか特にここ最近は「妻の症状がひどい」とか「介護は大変だ」とか「介護が大変すぎて介護する側の精神が保たない」とか「人生って一体なんなんだ、意味がないじゃないか」とか「お金が大変だ」とか、そういう“介護者としての勝手な視点”でばかり書いてきたような気がする。
ところが、ふとしたことから「こういうのは筋違いなのではないか」「もしかしたら正しくないのではないか」「もっというと、事実は正反対なのではないか」とすら思い始めた。
そのふとしたこと、というのは、一見狂ってめちゃくちゃなように見える妻がずっと狂気の中で保っている自我や自尊心、それに基づいた態度、笑顔、そして発言の端々に見られる人間関係や世の中の様々な事象に対する鋭い物の見方に触れ続け、その一貫性に気が付いたことなのではないかと思う。
要するに、「統合失調症の治癒」というのは、あくまで一つの仮説だが、「一見するとこのめちゃくちゃな状態の妻の状態をそのまま受け入れ、このめちゃくちゃな妻の自尊心が保たれた形で新たな関係性を築き、その上で妻のめちゃくちゃさがこの世の中の“普通”と折り合いがつくような状態にまでたどり着くこと」なのではないかと思ったのだ。
考えてみれば、かつては精神分裂病と呼ばれ、今では統合失調症と言われているこの病気の定義自体が、WHOの「ICD-10」と米国精神医学界の「DSM-5」などの診断基準に当てはまる診断項目に、“患者の現在の状態”のどれがどれだけ当てはまるか、で決められているだけで、「なぜそういう状態になっているのか」といった統合失調症の原因などについては感知しないし、そもそもその状態というものを杓子定規に「治療すべき悪しき病的状態」と考えてよいものかどうかもわからないのだ。治療方法についても、現状では薬物療法が主流で統合失調症の根本原因にアプローチすることはほとんどない。
この「治療すべき悪しき病的状態」というのは、確かにいわゆる“正常な社会”を維持するという立場からしたらその通りだろう。
しかし、もしその“正常な社会”と言われているものこそが間違っていたり、歪んでいたり、個々人に過剰なストレスを強いるものだとしたらどうだろうか?
この場合は、一概に統合失調症患者、もっと広くうつ病などのなんらかの精神的疾患を患っている方々を含んでもよいと思うが、そういった“患者たち”の状態は“異常”で“正すべきもの”、“治療すべきもの”と一括りにしてしまってもいいものなのだろうか?
話が少し大きくなってしまったので、妻個人の話に戻したい。
妻は幼い頃からピアノを習わされ、母がずっと横で練習を監視し、間違うと激しく叱責され、手を叩かれていたそうだ。長女で、ずっといわゆる“良い子”でいることを要求され、弟や妹の面倒を見る、手のかからない子であることを求められ続けた。教育熱心な両親に、日本でも指折りの進学高に転校させられ、トップクラスの成績を取るようにも要求された。そして東大に行くようにずっと期待されていたのだ。父親の人生計画書には「18歳、phrenia東大入学」と書いてあったそうだ。そのために両親はわざわざ東大の近くに家を購入した。優等生でいるために、妻は学校でどんなに嫌な奴がいようとも、大きな問題も起こさずに過ごしていた。
もちろん妻の両親だけに全ての責任を押し付けるつもりは毛頭ない。今でこそ価値観は多様化してきているようにも見えるが、妻が学生時代を過ごした昭和後期〜平成初期は「良い大学に入って大企業か公務員になるのが一番良い」という価値観は日本全国で共有されていたと思うし、親も我が子の将来を思ってその価値観に従ったまでだろう。学校での陰湿なイジメや他の生徒を出し抜くような狡猾な人間関係なども、世の中の雰囲気を表しているに過ぎない。子供はある程度は親の鏡だ。その生徒の親の考え方がそうであれば、それは当然生徒たちにも影響を及ぼす。要は社会全体がそういう雰囲気だったということだ。
このような環境で過ごすということは、想像しただけでも気の遠くなるような締め付けと重圧を感じるだろう。あまりにも路線が規定されすぎていて、とてもではないが妻という人間のありのままの全人格が受け入れられる状態ではなかったのではないだろうか。
実際、妻はよく勉強ができた。いわゆる秀才だ。大学も私が行こうとも思わないようなハイレベルの大学を卒業している。そして日本のトップクラスの有名大企業に就職した。
しかし、それまでの人生の中で、規定の枠外にあった妻の本心、本当の感情、本当にやりたかったこと、そういったものはどこに置き去りにされたのだろう?
私が、今の妻の状態を見て思うのは、実はそういったものはどこかに置き去りにされたり捨てられたりしたのではなく、ずっとずっと妻の心の中に固く仕舞われていたのではないかと思うのだ。
そして、今ここにいる妻に現れている“統合失調症”と言われている症状こそが、それまでの妻の優等生な人生の中で固く閉じ込められていた“本心”や“感情”、“やりたかったこと”などがマグマのように噴出している状態だとは考えられないだろうか?
甘い、という人もいるかもしれない。みんなそういう世の中で我慢して、頑張ってやっているんだ。統合失調症になるなんて本人が甘いから、弱いからそうなるのだと。しかし、前にも書いたが統合失調症は百人に一人が発症すると言われている。日本の人口を約1億人とすると、100万人は患者がいる。うつ病は2017年の厚生労働省の発表では112万人だ。合わせて200万人以上。日本の全人口の2%以上だ。WHOの発表によると、全世界ではうつ病に苦しむ人は3億2200万人もいるそうだ。2017年の世界の人口は76億人なので、全世界の3.9%にもなる。とても甘い、本人が悪い、弱いからだ、などと片付けられるような数字ではないと思う。
妻の状態を一度でも見てもらえばわかると思うのだが、常識では考えられないほどの大きな怒り、憎しみ、否定の感情などがあったかと思えば、反対に「え?そこまで??」と思わず思ってしまうほど長時間続く「大爆笑」や「高揚した精神状態」もある。これらが延々噴出しているので、昼夜を問わず、長時間寝ないで起きたままで、36時間〜46時間ほど続けると、どっと疲れてまさに泥のように眠り続けるのだろう。
そして「統合失調症の治療」という意味での私の役割は、この常識では考えられないような妻が噴出する様々なものをそのまま受け止めた上で、全てのものを出し切ってもらい、妻の全人格が保たれたままで現実社会との折り合いがつく一定のレベルになるまで寄り添い、見届けるということなのではないかと思う。
そうだとしたら、例えば妻が牛乳の入ったコップを手に持ちながら興奮状態で振り回してテーブルや床に牛乳が派手にこぼれようとも、パンを引きちぎって投げようとも、お皿を割ろうとも、楽譜にクレヨンで落書きしようとも、トイレットペーパーを一回に10mも20mも使おうとも、私を丸めたカレンダーでひっぱたこうとも、私の両ほっぺたを指でつまんで顔を横に引き延ばそうとも、私は決して怒らず、叩いたりせず、優しく見守るべきなのだろう。私までもが妻を否定し、常識の範囲内に規定してしまったら、妻の認められなかった全人格は閉ざされたままになってしまうだろう。
私にできるだろうか。正直この大噴火している妻の横にいながら、無事のままで居られる自信もないし、ずっと理解を示しながら見守れる自信もないが、やるしかないのではないかと思う。妻の根本的な治療のためにそれが必要なのであれば。
コメント
初めまして。
奥様は、そんなに過酷な人生を送っていらしたのですね。
ご両親からの虐待で、限界なのに無理を重ねていらしたと思います。
(ご両親の支配は、教育や躾を超えています。今ではそれは精神的虐待と位置づけられています)
統合失調症は、原因がはっきりしていないんです。
脳の機能に関しても、どこがどうなっているかという根拠はありません。
医師は症状に合わせて診断をしているだけです。
ただ、病名によって様々なサポートが受けられるのなら、利用できるかな?という程度と考えると、「病名」に向き合うというよりは、奥様に向き合えると思うのですが。
後は、奥様がこれまで無理を重ね、抑え込んできて、とても苦しかった思いをやっと吐き出しているのは明白のように感じます。
周囲の期待に無理を重ねて合わせてきた事は、生き物として限界だったのではないでしょうか。
奥様を「大人の女性」として対峙していると、お辛いと思います。
でも、やっと、伸び伸びと子供をやれているのかもしれませんね。
理解はできなくても(相手は自分ではありませんから、理解は難しいですよね)、受け入れられなくても、彼女の人生と存在を尊重する事って暖かいなあと思います。
旦那様もとてもお疲れでしょうけれど、一緒に遊んでしまうと喜んでもらえるかもしれませんね。
心が純粋で素直でなければ、ご両親からの支配を受け入れて「いい子」になる事は無かった奥様の本当の姿を見れるのは、旦那様だけなのかもしれませんね。
今の社会に「適応」しなくても、私は良いと思います。
現代社会の歪みは相当なものだと感じていますから、これ以上歪んだ世界に適応させようと支配してしまったら、奥様は生きていけなくなるような気がします。
旦那様が社会に対する見方を変えようとなさっている姿は、頼もしいです。
どうか、休める時にたくさん休んで、理想より現実を見られるようになるといいですね。
介護というより、一緒に生きるのが看護ですもの。休み休みお願いします。
電子うさぎさん
コメントありがとうございます。おっしゃる通り、妻の幼少期から成人になるまでの過程は「精神的虐待」であったと思います。だからこそ、結婚する前から妻は私の住むマンションに親には秘密で持ち物一式を持って逃げるように引っ越しをしてきたのだとも思います。限界だったんでしょうね。それで我が家に来てからは自分自身を少しずつ解放してきたのではないかと思います。妻はよく「ゼロ歳からやり直してるんだもん」と言いますが、あながち間違っていないというか、精神の再構築を自分で行っているのかもしれません。
私も初期の頃は「統合失調症」という概念に疑問を感じて、あくまで妻のことを「病気」「異常」と決めつける彼女の親と衝突していましたが、今はこの状態になっている妻の心を癒すことに注力しています。一方で、社会的には保護されるべき「障害」という扱いなので、おっしゃる通りありがたく様々な国の支援制度を利用させてもらっています。実際に妻が自分自身で身の回りのことをやり、一人で生きていくことは事実上不可能ですから。私はそれをサポートするだけです。
「適応」はできないかもしれませんね。この世界自体が歪んでいるのであれば、それに適応することは彼女には不可能でもあるし、する必要もないと思います。ただ、妻の調子の悪い状態(心の中の色々なものが噴き出している状態)と調子のいい状態(普通に意思疎通ができる状態)での妻の性格は、全く違います。調子が悪い時は、声も大きく高飛車で自信家でまるで女王さまのようですが、調子のいい状態の時は、控えめで大人しく声も蚊の鳴くような小さな声です。なので、むしろ社会に適応するよりも、この全く相反する二つの性格の融合というか、どこか妻の居心地の良いところで折り合いをつける、というところが目指すべきところになるのかもしれません。
お心遣いありがとうございます。おそらくまだまだ長い妻との生活ですから、休み休み、無理しないようにやっていこうと思います。
確かに奥さまはずっと、自分を押し殺して生きてきて、きっと社会人になってからもまわりの期待する自分でいなければいけないと生きてこられた、その状態の方が異常であって、今の思うがままに行動できる状態が普通かもしれませんね。
精神の病だけではなく、体の病気についても、治癒とは何なのか考えてしまいました、抗がん剤で身も心も疲れ果て日常生活が送れなくても、治癒、を目指すのか…
世の中の普通って何なのでしょうね。そして何で人は結果を求めてしまうのでしょうかね?
popoさん
コメントありがとうござます。おっしゃる通りなんでしょうね。今のこの療養中に見せる妻の今の高飛車で自信家で元気一杯の性格が妻の本来の性格なのかもしれません。だからこそ、それを良しとしなかった妻の両親に押さえつけられ、おとなしい、手のかからない、良い子、を演じ続けてきたのかもしれません。私自身も妻との初対面では「なんておとなしい子なんだろう」と思ったほどなのですから。
おっしゃる通り、精神の病だけでなく身体的な病気の“治療”というものは、医学の考える「正常」な状態を薬物や外科的手法などで強制的に戻す、ということを基本にしていると思うので、なぜそうなっているのか、とか、体がその状態によって何を訴えかけているのか、ということにはほとんど目を向けません。だから根本的な治癒にはなかなか至らないし、体にも無理な負担をかけてしまうのだと思います。
世の中的な「普通」でいるために、自分自身に過度な負担をかけて、病にまで陥ってしまうのであれば、普通なんて目指す必要はないのかもしれませんね。一人一人が、本来持っている輝くものを、そのままに発揮できれば、普通でなんてある必要などないのだとも思えます。
私たちの療養生活にも、結果など出ないのかもしれませんが、今生きているこの一瞬一瞬を精一杯楽しむことに集中したいと思っています。
読んでいて、schizoさんの優しさと奥様への理解に涙が出そうになります。書かれていることは、私もよく分かる気がします。私も母の姿を見ていて、似たようなことを考えたことが何度もありますので。でも、実際の本人の前では、私はそんなに立派な娘ではいられず、すぐ匙を投げてしまいます。悔いのないようにありたいものです。
やるしかない、という覚悟の一文に、力を感じました。陰ながら応援しています。
ご自身のことも大事にしてくださいね。
お金のこと、心配しています。
うみさん
コメントいただきありがとうございます。私も文章にするときには色々と立派そうに見えることを書いているかもしれませんが、実際は泥臭く、四方の壁にぶち当たりながら倒れて泥まみれになりながら日々過ごしています。ついつい怒ってしまうこともあるし、手を上げてしまうこともあります。でも妻のことを私が諦めてしまったら、もう他に妻の精神の解放を手伝ってくれるような人は見当たりませんし、やるしかないな、というのが正直なところです。本当に、おっしゃる通り、私も悔いの残らないように精一杯やっていきたいと思っています。この世の中に、陰ながらでも応援してくださる人がいる、見ていてくれる人がいる、と思うだけで大きな励みになります。うみさんもお母様のお世話をされているのだと推察しますが、どうかご自愛なさりつつ、無理のないようにやっていってください。またこのブログにも遊びに来てくださいね。
久しぶりに来ました。世間はコロナで自粛生活ですが、その後更新がないためどうされているか少し気になりました。もちろん無理に更新される必要はないですので、このちょっかいはお気になさらないでください。穏やかに過ごされているとよいですが、日々色々あるかとは思います。私は昨年出産し、仕事も辞めて今は育児に追われていて、楽しかったり、大変だったり、疲れたりです。しばしばschizoさんご夫婦のことも考えますよ。
繰り返す日常の中に、いいこと見つけられますように。
あえて堂々巡りをするつもり。あの時妻が表した強い意志の罵詈とまっすぐに射る懸命な目つきが心を捻らせる。穏やかにささくれ立ち、統合失調症からの自殺未遂なんてあんまりだ。どうでもいいような後ろ向きの人生に、ツケが回って来た、と誰かが言った。遅かれ早かれ、とも言った。あの人は僕のせいだと思っている。その通り、ひどい人だ。あなたは何度も胸の前で手を振って見せた。
試みを繰り返し、妻は日常を確かめ続ける。そこに安らぎなどある筈がない、これからも、落ち着いてなんかいられやしないな。気の利いた言い回しは見苦しい。雨は当分降らないみたい。週末までに、片付けなければならなかった。額装された絵を見ている。うまくやろうか、張り切ってやって行こう、固く目を瞑るような気持ちで。君のために。
まさとさん、コメントいただきありがとうございます。
まさとさんと奥様のまっすぐさ、ひたむきさをコメントから感じました。
いつもの通り、私にはコメントから全てを読み取るだけの力はありませんが、どうか穏やかで安らぎを感じられる瞬間が、お二人に多く訪れますように。
自分の子供の頃を思い出しました
私も長子で、母はとにかく私に厳しかったです
やりたくもないピアノを強制されたり、母の思い通り・言う通りにしないと激しい叱責を受けました
周りの大人に相談しても「あなたのためを思ってやってるんだよ」と言う
学校へ行けばいじめられ、家に帰っても居場所がない
毎日俯いて学校へ通い、頭を垂れて家へ戻りました
母は私が気持ちをぶつけるたびに「あなたも母親になれば分かる」と言っていました
私が母親になって分かったことは、母は本当に私を愛してなかったんだという絶望でした
私は統合失調症の当事者であると同時に精神疾患の父を持つ娘(家族)でもあります
schizoさんのお気持ちも奥様のお気持ちも分かります
そろそろ寒い日が増えてきましたから、お身体大事になさってくださいね
梅子さん
コメントありがとうござます。
悲しい話ですね。お母様の愛情は世の中に梅子さんが出ることになったときに困らないように、梅子さんが少しでも社会的に有利な状況になるようにというようなある意味“欲望”とも言えるような形に姿を変えていたのかもしれません。世の親が子のためを思うがあまり、最も大事な子の全人格を認めず、親の考える理想のか型枠にはめて、結果的に双方のためにならない、というような悲劇は今の日本ではあちらこちらで見られる情景のように思います。妻の母親もそうだったのだろうと思います。おそらく本当に愛情がなかったのではなく、世の中的な成功を子供が収めることと、それを自慢したいという親の欲望が、本当の愛情を曇らせてしまっていたのではないでしょうか。
かくいう私の家でもやはり同じような状況が繰り返されていました。おかげで兄弟で一番秀才だった兄は大学で鬱になり、ついこの間まで実家で働くともなく毎日寝て過ごすような状態でした。最近は弟(私のこと)が身近に帰ってきたということも関係したのか、少しずつ頑張って働くようになってきてはいますが。私もそのような親の歪んだ愛情の犠牲者になっていますが、私の場合は奇跡的に私の気持ちをすべてわかってくれて、慰めてくれていた飼い犬によって完全に毒されずに済んだのではないかと思っています。「子供が型にはまった社会的成功など収めなくても良い、この子がこの子の持てる全ての能力を発揮して、のびのびと元気に育ってくれればそれで良い」という風に世の中の多くの親が思ってくれることを願って止みません。
梅子さんも時節柄、お体大事に、晴れやかな気分で過ごされることを願っております。
私の母に関して言えば、私の妹とは正常な親子関係を築けていました
厳しかっただけなら、schizoさんの仰ることも理解できたと思います
母と妹はいつも見えない壁の向こうにいて、私は居場所がなかったのです
家の中で常に一人ぼっちでした
毎日些細なことで何度もぶたれて、貶されて、嘲笑う母の顔はとても醜悪でした 今も脳裏に焼き付いてます
今の世だったら虐待で通報されていたことでしょう(実際母のしていたことは虐待でした)
残念ながら、私が将来生きていけるように厳しくしてたわけではないのです
ただただ私のことが可愛くないのです
全ての母親に母性が芽生えるわけではないと、母から学びました
子のためを思うなら絶対できない、とても人様に言えない酷いこともたくさんありました
私は子供たちに、自分が母にしてほしかったことをします
子供たちだけでも日の当たるところで幸せな人生を全うしてほしいから
でも本心を言えば私も母に抱き締められたかったし、誉められたかったし、泣いてるときは寄り添ってほしかった
梅子さん
コメントありがとうございます。
おっしゃっていることが理解できました。梅子さんのお母様は悲しいことですが梅子さんのことが嫌いだったのでしょうね。
梅子さんの妹さんとお母さんはしっかりと結束していて、梅子さんだけを虐める。とてもひどい環境で過ごして来られてお辛いことだったと思います。
お話を聞いていて、妻が元気だった頃に話していたことを思い出しました。妻にも妹がいます。その妹は妻の母親の名前から1文字受け継いでいます。
そして妻は父親から1文字受け継いでいるのですが、妻の母は自分の旦那のことが嫌いだったのです。そのため妻の父親は妻やその母親、妹、弟のいる家には入ることができず、近くにアパートを借りて一人暮らしをしていたほどです。家の鍵も渡してもらっていませんでした。その嫌いな父親から1文字受け継いでいる長女である私の妻は、家族の中で母親、妹の強力なタッグから度重なるいじめを受け、育ったと言います。母親と妹が美味しい料理を食べた後くつろぎながら、私の妻にだけ食事の後片付けをさせて、「私たちシンデレラに出てくるママ母たちみたいねぇ。あははは。」と嘲っているのを聞いていたと言います。なんだか妻の受けた仕打ちと梅子さんがご経験された親子関係には共通するものがあるのかもしれません。
梅子さんがお母様から愛情を受けられず、抱きしめてももらえず、暖かく寄り添ってもらえなかったとしても、梅子さんご自身の素晴らしい価値は不変のものですし、虐げられた事実によってその価値が少しでも減じることはありませんが、やはり愛情をいっぱい受けて楽しく子供時代を過ごしたいですよね。梅子さんが、ご自身のお子さんたちに、ご自分がお母さんにして欲しかったことをする、というのを読んで安心しました。きっと梅子さんとお子さんたちは素晴らしい関係を築いていかれることと思います。
ブログ、いつも見てます。
Kirraさん
コメントありがとうございます。
ここのところお見かけしてなかったので心配しておりました。お元気ですか?
私と妻はブログの通り、なんとかやっております。また遊びに来てくださいね。
久し振りにここに来させて頂いて、日記を読ませて頂きました。
私の妻も統合失調症を患っており、以前コメントもさせて頂きました。
ここのところ妻の症状が悪化しており、とても辛い日々です。
そんな私にとって、schizoさんの日記にはとても勇気を頂いています。
と同時に読んでいるうちに感情が高ぶり、泣いてしまったりもしてます。
schizoさんの考え方、解釈の仕方には感心するばかりです。
応援してます。
そして一緒に頑張ります。
Ravenさん
コメントいただきましてありがとうございます。コメントいただいたこと覚えております。
奥様の統合失調症の症状が悪化しているとのこと。お辛いでしょうが、ご自愛なさりつつ頑張ってください。
実は、私の妻もここのところ以前はできていたのにできなくなってきたことが増えてきていて、症状が悪化しているようにも見えます。
見ていると本当に辛いです。以前できていた折り紙、塗り絵、手紙、散歩。できていた頃を思い出すと辛いですが、それでもいつかは良い日が来ると信じていないと、こちらまで頑張ることができなくなってしまい、妻にも申し訳ないので、なんとか踏ん張っているところです。
このような境遇になった人にしか絶対にわからないことも多々あるかと思います。Ravenさんのお気持ちもなんとなくわかる気がしています。負けないように、そして奥様の太陽として、いつまでもお元気で頑張ってください。応援しています!
年金もう入金されたかと思います。
どうされてるかいつも気になっています。
美味しいものを沢山召し上がり、暖かく年越しなさってくださいね。
小夜子さん
お返事遅れました。コメントいただきましてありがとうございます。
おかげさまで無事妻の障害基礎年金は遡って入金されました。また市役所で相談した結果とりあえず今後の妻の療養生活もこのまま続けられる状況になり、我が家の経済的な危機も今の所は解消されています。ご心配おかけいたしました。12月の妻の状況やこの間にあったことなど、またブログの方に記録として残したいと思っていますので、お時間ありましたらまた見ていただければ幸いです。小夜子さんもどうかよいお年を。