この2ヶ月の経緯
前回、6月30日に投稿して以来、私自身がかなり、というかすっかり落ち込んでしまい、もうほとんど全てのやる気を失って、ほとんど生きる気力すら無くしかけていた。
理由はいろいろあると思うのが、一番大きいのは2018年6月17日で今回の妻の発病からまるまる8年が経過し、介護生活が9年目に入ったということ、そして今だに子供の一人もないという事実だと思う。
もちろん妻の病状には波があって、悪い時はそこら中の陶器やガラスが共鳴するほどの高音域かつ大音量の妻の叫び声と、20年以上前の、今この場に居ない知り合い達に対する罵詈雑言を床が抜けるほどの地団駄を踏みながら言い続けるのだが、調子が良い時には、打って変わって、嵐の後の海原のようにピースフルで安らぎに満ちた状態にもなる。しかしながら、なにせ調子の悪い時がだいたい夜中を挟んで36時間とか続くので、私も寝ることもままならず、長時間続く地獄的な状況の中で、安らぎも幸せも何もかも吹き飛んで、これ以上無いと思ってしまうほどの不幸感に打ちひしがれ、私のロウソクのともしびのような生きる気力など、その嵐のような猛烈な強風によって無情にも一瞬で吹き消されてしまう。
それでも調子の良い時にはサッカーのワールドカップを楽しみ、この7月にあった西日本を中心とした豪雨被害には心を痛めたりしながら過ごしていた。
ちなみに今私たち夫婦が住んでいる場所は、まさに7月豪雨の被災地域にあり、身近な場所で多くの人が命を落とし、住む家を失い、生活の大動脈が絶たれるという大変な経験をした。日頃あまり災害のない地域ですらかなりの被害が出た。幸い私と妻が住むこの団地は、地域の中でも高台にあり、浸水被害もなく無事に過ごすことができている。ただでさえ、妻の病気とその介護生活で疲弊しているので、さらなる自然災害の辛苦が降りかからなかったのは不幸中の幸ではあるが、それでも何も喜べないほど、気力も何もかも失っていた。まさに隣の地区でボランティアが必要なほどの被害が出ていたが、ボランティアに出る元気など到底なくて、日々の妻の世話をただただ暗澹たる気持ちを抱えてやっていただけだ。
前にもどこかに書いたことがあると思うのだが、私は自分自身の心が相当タフで、少々のことでは負けないタイプだと思っているのだが、それでもこの8年以上に及ぶ介護生活の中で、他人の不幸を思いやる余裕など持てないほど深く深く沈み込み、疲れ果てていた。
ここまで書いて、この投稿のタイトルのタバコの効能はまるで出てこないじゃないか、と思われるかもしれないが、それはここまでの暗く沈み込んだ状況の中で、ついに自暴自棄になって、“緩やかなる自殺”などと揶揄される喫煙にとうとう手を染めた、ということではない。始めたのもそういう理由ではない。
こんな沈んだ状況の中でも、私なりに何か妻の病気を改善する手立てはないものかと、主に妻の調子が良く、少しだけ私にも元気がある時にインターネットなどを使って調べていたのだ。そんな中で、実はタバコには脳内物質を整え、鬱をはじめとする精神疾患に効果があるばかりか、ボケまで防止し、さらにはガンも抑制するなど、驚きの効能があるという情報を見つけたのだ。
早速私はつい3日前に買い物のついでにタバコを買ってきた。ガセネタでもなんでも良い。とにかく、精神科にかかってはいるものの、クスリの副作用でついにどん詰まりを起こして、速効性のない栄養療法と精神療法しか手立てがない妻の、この地獄的状況を少しでも改善できるかもしれないものがあれば、私はなんだって試す。
タバコに火をつけ、吸ってみる。わざと副流煙が妻にも届くように、家の中にタバコの煙が流れるようにしてみた。最初は、毎食後一本、まるで食後の薬のように吸い、服用後はシップなどが置いてあるクスリ箱コーナーに保管する、という状態だったが、だんだんと本数も増えてきている。
肝心などんな変化があったかについて
まず、妻がどんなに長時間地獄的絶叫状態にあろうとも、私自身がビクともしなくなった。なんというか、大雑把になったというか、いちいち不幸感が絶望的レベルまで達しないのだ。妻が、お茶をこぼそうが、同じ曲を延々と1曲リピートしようが、私に対して「schizo、しねー!!!」と言おうが、全く腹が立たない。私がほとんど寝ることができていなくても、だ。
タバコを吸ってなかった時には、心が敏感なのか、いちいち不幸度マックスになって、怒ったり、怒鳴ったりしてしまっていたことと比べると、とんでもなく大きな変化だと思う。
物の捉え方次第で云々というような、高度に大脳を駆使した納得の仕方などをする必要もないほど、強靭な心になったというか、とにかく細かいことが気にならなくなっている。
もう一つ、このブログに投稿できるほどのやる気を取り戻した。これも、不幸感に打ちひしがれていないからこそできることだ。ブログに投稿できるということは、その他の生産的な活動にも身が入るということだと思う。
一言で言うと、“不幸感に対する不感症的状態”だ。これは、ただ単に、私の脳がタバコの成分によって麻痺してしまい、本来感じるべき細やかな感情を感じ取れなくなってしまったと言うよりも、いい具合に脳内のバランスが取れ、いたずらに不幸感に偏らなくなった、と言う方が当たっているような気がする。あくまで個人的な感想だが。
一方、身体的な変化・影響という面では、少し喉が痛い。これは体の状態との相談で、適量を発見する必要がありそうだ。
その他の面では、お財布に優しくない。なにせ一箱400円以上とか、高すぎるだろう。半分ほどが税金だという。これはかなり経済的には痛い。
このようなわけで、再び私の喫煙生活が始まったわけだが、私の心が強靭になっただけでなく、ぜひとも本来の目的である妻の病状の改善に、少しでも役立ってくれればと思う。今後も継続的に経過を見て行きたい。
コメント
一つだけ注意点をお伝えします
私の夫はやはりタバコでイライラをやり過ごすタイプの人なのですか、副流煙で私が喘息を発症しました
毎年6月と秋にひどい発作を起こします
発作を起こすと昼夜問わず寝るのが難しくなって今度はパニックを起こしやすくなります
おまけに喘息の薬はとてもお値段がいいです(診察代込み1ヶ月分で5000円以上とかざら)
毎年2000人が喘息の発作で亡くなってます
夫の副流煙を吸い続けて、私はマイナスの効果しか感じられなかったので、お気をつけください
梅子さん
コメント、アドバイスありがとうございます。
タバコの副流煙で喘息の発作ですか。それは良くないですね。それが睡眠障害にまで発展すると大ごとですね・・・。今の所まだ経過を見ているような段階ですが、妻にそういった副次的な悪影響が及ばないよう、本数や妻の状態をしっかりと見つつ、気をつけて進めたいと思います。喘息の方もお大事になさってください。