5月の連休前後の様子

GW前に予定について書いたが、あの時に計画していたことのうち、妻と妻の弟の誕生日祝いにケーキを食べることしか結局できなかった。

3月後半から4月いっぱい続いた妻の調子の良い状態は終わってしまい、5月1日の午後からはまたしても全く会話が通じない状態になってしまったのだ。正確には“全く会話が通じない”ではなく“ねじ曲げられた一部のみ伝わる”という感じなのだが、何れにしてもコミュニケーションとして成り立っていないので、かなりめちゃくちゃだ。

それでも、誕生日の日の朝だけ話がちゃんとできるタイミングがあり、「誕生日おめでとう」というと「ありがとう」という会話だけはできたのでよかった。

5月連休中にはこの地域の最大イベントの花のお祭りに行く予定だったが、調子を崩してからはほとんど寝てない日が続き、生活リズムもむちゃくちゃなので当然行くことができず、お誕生日ケーキも妻はそれとわかって食べたのかは怪しく、目の前に置くとなんのセレモニー的会話もなくフツーにむしゃむしゃと食べていた。ハッピーセットも買って帰ったのだが、わかってくれているだろうか。弟の誕生日ケーキもやはり普通のおやつであるかのごとく消費された。

そうはいっても、食べるのであればまだ安心できる方でいいのだが、日によっては全く食べずに麦茶やコーヒー、紅茶だけしか口にしない日もある。こっちの方が問題で、私は少しでも栄養をつけさせようと、スープの中に栄養のありそうなものを入れ込んだり、食べないフルーツをヨーグルトデザートにして見たりと色々工夫している。うるさいくらいに「食べろ、食べろ」と言ってみている。しっかり食べないと、栄養不足にでもなってしまったらと思うと気が気ではない。

妻の父親は、結局誕生日にはお祝いには来ず、連絡してくることもなかった。妻は調子が良かった時期に、事あるごとに父親に手紙を書き、自分の誕生日アピールを行なっていたようだが結局何もなかった。弟にも「△□くんはどこに住んでるの?」というメールをしていたが、その質問への直接の回答はない。

変な話だが、私の正直な感想としては“家族であろうとも関わりたくない”という気持ちなのではないかと思ってしまうほどだ。まあ普通はそうだろう。父親にも余生があり、弟にも家族があるのだから、結婚して家の外に出て行った娘(姉)というのは、まずは夫である私が世話をするべきで、余計な手出しは無用、ラッキーにも離れることができて一安心、と言ったところだろう。

もちろん、まず世話をすべきなのは夫である私で、法的にも障害者である妻の後見人になっているのは私なのだが、こうもあからさまに逃げ腰になっている妻の家族って・・・、と思ってしまう。

妻はというと、相変わらず、お父さん大好き、弟大好き、なのに、だ。

妻の1回目の発病は、彼女がまだ10代の頃のことなので、当然その時の様子は弟も含めた家族が見て、大変な思いもしているかと思うので、関わりたくないという気持ちもわからないでもないが、こんなにお父さん思い、弟思いのこの妻を、まるで厄介払いができたとでも思っているかのように、遠巻きにしているのはどうなのだろうか。

そう思う一方、私としてはあまりにも妻の身内が過干渉してくるよりはマシだと思っているところもあり、一概に悪い状況とも言えない。妻はかなりさみしい思いをしているかもしれないが。

ここのところの妻の様子はどうかというと、毎日××(二重バツ)で、機嫌の良い日もあれば悪い日もある。そしてまるで噺家のように言葉が途切れない。ブツブツ言いながら笑ったり怒ったりしながら、部屋中に本やらトランプやら、ありとあらゆるものを撒き散らかしながら、家のあちこちに移動しつつ小鳥座りをして過ごしている。時折昔買ったコンポでCDなどをかけて、同時通訳ならぬ同時替え歌を楽しんでいるようだ。相変わらずの神がかり的才能を発揮しているのだが、この才能は陽の目を見ることはないんだな、と思うとなんだかやりきれない。主旋律がない部分にも自分で旋律を組み込んで、そこにまで歌詞を乗せるもんだから、かなりの言葉数だ。

そういうわけで、今年のGWはかなりインドア派の過ごし方になったので、私はかなりやさぐれながら、ドラクエ10のコロシアムグランプリに参加していた。これは大暴れできるので、かなりストレス発散になる。

そうこうしていると、後ろにいた妻がなんども「schizoしねー」と言っていた。私はなんどもコロシアムでHPゼロになって倒されていたので、「もう死んでるよ」と返していたが、何やら腹が立ったので、「お前がしね」と言ってやった。そうするとほぼ決まって妻は状態がもっと悪くなる。そしてトイレに引きこもってしまった。私も何度も死ね死ね言われて、いい加減腹が立つのだが、ああいうことを言うと妻の機嫌がサイアクになることはわかっているのでもう少し辛抱すればいいのかもしれないが、なんだかんだで私もやさぐれ状態なので、負のスパイラルだ。

反対に、こちらが全く関係ないことで(例えばコロシアムですごく自分が間抜けな死に方をして、自分自身で大ウケして)笑ったりしていると、妻も笑いが連鎖するようで大爆笑したりしている。

ドラクエ10のコロシアムグランプリでは、オートマッチングで他3名の方々と一緒に相手側4人と戦うのだが、妻は私の仲間に女性キャラが来ると、キャラの顔を指で潰しながら何やら「これがキモい」だの言いながら怒っている。そしてとうとうテレビのリモコンで液晶画面に映っている女子キャラをバンバン叩き始めたので、私もついつい大声で「やめろ、これはゲームだ。それはゲームのキャラだ」などと言っていたのだが、おそらくこれは嫉妬の一種なのだろう。テレビの液晶は多少凹んだものの、幸い破れてはいないのでよかった。

妻はその割に「DAIGOさんがかっこいいので、schizoはいらなくなった」などとも言っている。一応「DAIGOなんかよりおれの方がかっこいいに決まってるだろう」などと反論しておいたが、無駄な抵抗だったか・・・。

いや、確かにDAIGOは若くてかっこいいかもしれないが、「いらなくなった」などと言われると流石にいい気はしない。しかしDAIGOに目移りしつつも私にも嫉妬の感情があったりすると言うことなので、まんざらそこまで悪くもないということなのだろうか。

そんなこんなで、連休は満喫できたとは言い切れないかもしれないが、こんな状態でも、できるだけ家の中に笑いが溢れるように、引き続き頑張って行きたいと思う。

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コメント

  1. Raven より:

    奥さんのご家族の話、食事(栄養)の話、日常のコミュニケーションの話、とても共感出来ることが多くて興味深くブログを読ませて頂いてます。うちの場合は妻が部屋に閉じこもっているので、奥さんとのやりとりはどういったかたちであれ少し羨ましくも思います。

    私も妻の病状を文章で記録してます。でもそこには出来るだけ自分の気持ち入れないように、淡々と症状と出来事だけを書き留めるようにしていたので、schizoさんの開けっ広げ(良い意味です)とも思える文章は、とてと面白く(誉めてます)、schizoさんの気持ちが良く分かります。私はschizoさんほど上手には書けませんが、もう少し自分の気持ちも書き留めていこうと思いました。

    ありがとうございます。

    • schizo より:

      Ravenさん

      コメントいただきましてありがとうございます。
      私の書いている内容に共感できるところが多いとのことで、何か非常に親近感を感じております。同じではないかもしれませんが、近い状況の中で色々と当事者にしかわからない悩みや、思いをたくさん抱えて頑張っておられるのかと思うと、かなり胸がいっぱいになるところがありますが、どうかこれからも奥様を支えて、またご自身の健康も考え、無理せずにやって言っていただきたいと思います。奥さんと少しでもなんらかのコミュニケーションができるようになるといいですね。

      奥様の病状を記録されているとのこと。私もこれを始める当初悩んだのですが、残さなければ私たち夫婦の歴史は泡と消えてしまうし、ノートなどに書きためていっても、どうせ私の死後にノートが発見されるのだろうし、それならばいろんな方にリアルタイムで読んでいただけるブログの形がいいのではないかと思っていまの形で始めました。ただ私はブログ上にいろんな思いを吐き出しすぎているのではないかと少し恥ずかしい気持ちになることもあるのですが、面白いと感じていただけたり、共感していただける部分があるのであれば、それはそれで意味があるのかなとも思っています。文章もできるだけわかりやすく書くよう努力したいと思います。

      おそらくコメントをいただく際にブログのURLをご記入いただくと、このブログから辿ってRavenさんのブログを見れるようになるかと思いますので、次回もしコメントいただく機会がありましたら、私も皆さんも観れると思いますので良いかと思います。また遊びに来てください。

  2. まさと より:

    手間暇かけて食器を洗い片付けを済ませた時、太陽はちょうど山の向こうに沈むところで、町は落ち着きを取り戻し、二回の瞬きの後に妻は窓の外に目を向けて、考え事をする。
    涼しい顔をしていたい。遅い動きは尊重されていいと思う。ふもとの家やビルディングの窓に明かりが灯り始め、縦横に走る電話線は前の一瞬、その前の一瞬を思い出し続ける事でつながっていられる。操車場のレールは冷たい、急ぐ家路の両側に不思議に憶えていた者達がじっと佇む時刻だけれど、次の角を曲がりしばらく行くと自動販売機は顎をえぐり、そちらの方向に行き渡ります。いくつになっても、悪い夢を見たようで、危ないところでした。明日はやはり言った通り、私の髪と背中を洗って下さい。

    • schizo より:

      まさとさん
      コメントありがとうございます。私は完全には理解できていないかもしれませんが、まさとさんの書かれる情景描写や、感じておられることなどは、非常に文芸的な印象を受けています。かなり大きな芸術的才能を感じます。これを絵にしたら、どういうものになるのでしょうか。
      奥様との静かな時間を過ごされている様子も伝わって来ます。動きが遅いからといっても、それにはそれなりの価値があるのだと私も思います。また遊びに来てください。