2017年の年末から今年の3月にかけて、妻の病状は非常に悪く、ほぼ毎日のように××(二重バツ)の状態で、◎がつく日は数える程だった。私も介護生活はもう7年以上になるので慣れているとはいえ、流石に精神的にも肉体的にもきつかった。
妻は来る日も来る日も、今ここにいない過去の登場人物たちとの戦いを繰り広げ、泣き喚きながら、荒っぽく物に当たるなどしながらどったんばったんと夜も昼もなく、カーテンを閉め切って激しく過ごしたかと思えば、疲れたらまたもや昼夜問わずに眠りこける。
当然歯磨きや風呂、トイレなどもおろそかになるので、妻の衛生面を保つために私も様々な世話や作業をするが、どうしても完璧にはできない。きちんとダイニングテーブルでご飯を食べるなどはできないので、仕方なく寝室に食事を持って行くのだが、床やベッドの上などそこここに硬くなった焼きそばのかけらや、もはやなんだか判別できないような食べかすなどが落ちているし、歯磨もせず風呂にも入らずに数日過ごしたりすることもざらだ。トイレにもきちんと行きたい時に行けないようなので、下着などを衛生的に保つためにもかなり注意しなくてはならなくなる。
こうなってくると、健康面でも色々と問題が出てくる。一番今気になっていることは、歯の健康だ。2017年春頃に犬歯が一本折れて以来、歯科医に通っていたが、去年11月に調子を崩してからは約5ヶ月もの間受診ができなかった。折れた歯の所にはさし歯が入ったが、反対側の犬歯もひどく虫歯になっていると言われ治療中だったのだが、治療途中で詰め物をしたまま5ヶ月以上放置せざるを得なかった。この間何度か予約はしたものの、受診当日は必ず調子が悪く、意思疎通ができない状態だったので受診・治療が不可能だったのだ。
今年の2月になってから、少しずつ妻の調子が良い日が増えてきたのだが、ある日「取れちゃった」と言って妻がさし歯を口の中から出したので、私は慌てふためいて歯科の予約を入れたのだが、予約当日にまたもや意思疎通のできない、例の激しい状態で何度も予約をすっ飛ばしてしまった。ようやく3月に入ってから先日受診がかなった。無事さし歯が元どおりに収まり、治療中だった犬歯の治療も再開したので一安心だ。今かかっている歯科医にも、受付のかたにも事情は話しているが、よく診てくださるもんだと感心するし、ありがたく思っている。
ただ、さし歯になってしまった方の犬歯もなくなってしまい、治療中の犬歯も歯科から戻って程なく折れてしまった。ぽろっと口から出てくるのだ。幸い詰め物は入ったままだが、本当に我が身が削られるような思いだ。妻は健康な頃から笑った時に見える大きな前歯と可愛らしい八重歯が特徴的だったので、“犬歯2本がなくなってしまった”と思うと、全身の血液を圧搾機で搾り取られ、その上、すりごまのようにすり鉢でゴリゴリされるような気持ちになる。残念だし、きちんと衛生面の確保がやりきれていなかった自分自身に対して激しい懺悔の念が襲ってくる。
とはいえ、私もふさぎこんでばかりはいられないので、最近はこれまで以上にカルシウムが入った食材やキノコ類を買い、妻にも「散歩して日光を浴びて骨を強くするよ。頑張ろう。」と言っている。妻も調子が良い日には「うん」と答えてくれるので、少し希望も出てきた。
過去のことを考えたり、世の中の健康な他人のことを考えたりすると、どうしても「あの時こうしていればよかった」とか「なぜうちばかりこうなるのだろうか」と思って落ち込んでしまったりするのだが、散々落ち込んだ後によくよく考えると、結局は今ここでできることを全力でやるしかないと思い至り、今はあまり深く考えずにとにかくベストを尽くすようにしている。過去には戻れないし、他人にもなれないのだから。
私自身は、子供の頃からなかなかの逆境の中育ってきたと思っているし、精神的にもタフな方だと思っているのだが、今回の冬は流石にまいってしまい、気がつくとベッドの中で眠れない中、いつもの買い物途中の道を思い出しながら、「あそこの線路の踏切に行くと楽に逝けるかな」とか「いや、やっぱ新幹線くらいのスピードが出てないと生き残っちゃうかな」とか「そういえば後で親族に損害賠償請求があるんだっけな」などとついつい自然に考えてしまって、かなりやばい状態だった。
そんな時に連絡をくれて食事に誘い出してくれた友人がいて、かなり気分的に楽になった。彼も奥さんの兄弟に障害者がいて、福祉サービスのショートステイなどを利用しつつも一緒に過ごしたりしているので少し大変さを肌で知っているというところもあり、話が合うのだ。彼は若い頃から珍しい(?)というか、渋めの趣味で、仏教にのめり込んでいるのだが、話の中にいろんな偉人が出てくる。お釈迦様はああだったこうだった、とか、色々と詳しい。私はあまり詳しくないので、「ふぅん」とか「へぇー」とか言いながら聞いている。その彼がしきりに「自分自身の負荷を減らしたほうがいい」とか「あまり深く考えずに、身の安全を第一に」と言ってくるので、最近は私も買い物に出た時に「避難」と称してぼーっと少し遠くまで歩いたりして気分転換している。
妻はここのところ毎年、暖かくなってくると調子が上向いてくるので、これから少しは楽になってくるのではないかと思う。最近はまたぬりえをしたり、ブロックを作って遊んだりできる時間も増えてきた。この猫はつい最近妻が作り上げたものだ。子供用のブロックおもちゃだが、何時間もかかって完成させていた。
今は、犬のブロックを作っている途中だ。「犬ができあがったら、花嫁さんと花婿さんとウエディングケーキのブロックも買ってあげるよ」と言ってあって、妻はそれも楽しみにしているようだ。
コメント
猫ブロックかわいい!
schizoさん(そんな事も言ってられないのでしょうが)いっぱい避難してください。
このブログのファンになったのは、奥さまへの優しい愛が溢れてるところです。今もかわらず。
Kiraraさん
こんにちは。コメントありがとうございます。猫ブロック可愛いですよね。妻のこういう可愛いものが好きなところは、発病前からずっと変わっていなくて、せっせとネコグッズを集め大事に飾っているのを見ると、自然とこちらもネコグッズを探し回るようになっています。妻が荒れ狂う大海原みたいになった時にはそっと避難して、なんとか生き延びながらネコグッズを集めるよう頑張ります。また遊びにきてください。
奥様のご調子が少し良くなられたようでなによりです。
良い時もあれは悪い時もあると理解していながらも悪い時が続くと精神的に辛くなりますよね。
そういうときはやはり、今できることだけ考えてそれ以外は後回しにしたほうがいいのかもしれません。
気候も穏やかになってきましたし、時には外で一人、ぼーっとしたりしたほうがいいですよね。
Schizoさん、いつも頑張ってばかりではなく息抜きも必要です。
私の妻も統合失調症なので調子の悪い時など私は酒に逃げています!
でもアルコールが原因で私が体を壊したら共倒れになってしまうので気を付けてはいます。
私の人生の目標は健康で妻よりも長生きして彼女を支えていくことです。
あとは小さな幸せが沢山あれば私の人生はそれでOKだと思っています。
人前でこんなことを話したらちっぽけなつまらない男だと笑われてしまいそうですが。
Takemanさん
コメントありがとうございます。春になり暖かくなってくると、明らかに日々の妻の調子が良くなってきていてとても気分が楽になってきています。こうなることは毎年の傾向からわかってはいても、どうしても悪い状態が続くと追い詰められたような気持ちになるんですよね。全くおっしゃる通りで、理解していても、気持ち的にはどうしようもない、という状態です。なのでやはり、一部放棄というか逃亡というか(笑)、上手に逃げつつうまくかわしながらだましだましでやって行くしかないのかもしれませんね。
Mr. Eさん
コメントありがとございます。息抜き、本当に必要ですね。酒に逃げるのも頭がぼーっとしていいかもしれませんね。私は酒に弱いので、飲むとすぐ頭痛がして違う意味で倒れます(笑)本当に、共倒れなどにならないよう、介護する側も体調管理をしっかりしなきゃですね。Mr.Eさんはちっぽけなつまらない男などではありません。一人の女性も幸せにすることができないで、ほかに何かを成し遂げたとしてもそれがどれほどの意味を持つのか。私には一人の女性を大事にすることの方が素晴らしいことに思えます。私も妻よりは年上ですが、妻よりは長生きしなくてはと思っています。多分私がいなくなると、身の回りのことができない妻は間も無く立ち行かなくなると思いますので。小さな幸せの大切さは昔よりはわかるようになったのですが、私はまだ欲が深いのか、どうも何かを成したいという思いがどこかにあるようで、折り合いをつけるのに苦労しています。
手を洗ってきれいにして、髪の毛を掻き上げたい。ゴミを出して買い物に行く途中、母娘連れにゆっくりと追い越される。ずいぶん前に身も心も壊れて行く恐怖が降り下りて来た。トイレから妻が、迎えに来て、と言う。幼児のようにではなく、我が道を行っている。2年かかって判った事は、何も変わらずにいてくれたこと。ベッドから、お父さんもう起きる、と言う。維持するためには毎日、目眩みながら、綻びを繕い続けると言うこと。水を差されたら、その分草木は芽を膨らませ、10個で278円の卵と。布団を掛けてあげると必ずありがとう、と言う。
まさとさん
とてもきれいで心のこもった文章のコメントをいただきましてありがとうございます。奥様と仲睦まじく暮らしておられるような感じが伝わってきます。水をやり続けるということが大事なのかもしれないですね。