「schizo、おまえ、これ売り払いたいのか?」
突然、妻のphreniaが私の仕事用機材の一つをバン!と叩きながら大きな声で言った。
私は、いつ果てるともなく延々と続く妻の脈絡のない独り言や替歌に辟易としながら、逃げるように仕事部屋に篭って機材をぼんやりと眺めていたのだが、そこへ隣のリビングで一人でうるさくやっていた妻がつかつかと入ってきて、先ほどの言葉を言ったのだ。
なんということだろう。私はまさにその時、その機材を売るべきかどうすべきか、考えているところだったのだ。この機材を売るか、それともあちらのものを売るか、それともキープしておくべきか。考えが頭の中で逡巡して一向に結論が出なかったところへ、先ほどの妻の強烈な一撃が突き刺さった。
無論、その一言で私の決心がついたのは言うまでもない。
実はつい最近、ついつい先進技術の粋を集めたかのような超最新機材に目が眩んで、一つ、いや、本当は二つ、買ってしまったのだが、そのせいで何かを売らなければと思っていたのだった。その最新機材は、先ほど妻が叩いたものの進化型で、言うなれば古い方は型遅れに近いのだが、なにぶん私が一番最初に購入した機材だったこともあり処分をためらっていたのだ。
しかし、その一言を聞いた後に私がどんなに「おい、これ、売って欲しいのか?」とか「これは売った方がいいのか?」などと尋ねても、一向にそれに対する反応はなかった。また延々と独り言や替歌をして笑っているだけだ。
前にも書いたことがあるかどうか定かでは無いが、妻にはこういう不思議なところがある。側から見ると、調子の悪い時の妻は、とりとめなく全く意味のないことばを垂れ流すだけのうるさい存在でしかないかのように映るが、その言葉の洪水の中に核心を突くような真実や、未来を見通したかのような言葉が混ざっていたりする。本当に稀に、なのだが。
ところで、11月に入って以降、妻はもう3週間以上調子が悪い。悪い、なんていうものではなく、調子が良かったのはこの3週間でたった数日の朝の数分、もしくは夜の数分で、その時だけは話ができるものの、その他の時間は ほ ぼ す べ て 歌って踊って喋り続けている。聞いていると、ほとんど意味は無く、しかしなぜか私の顔を見ながら喋ったり、「おいschizo、おまえなぁ、、、」などと名指ししてくるので完全に無視することもできず、本当に、かなり、つかれる。正直、死にそうだ。ちなみに、この、句読点の、多さは、私の、息切れを、現していると、思っ、て、ご、ご、ご容赦、いただきたい。
このような精神障害の症状を持つ家族の方々に、ぜひお伝えしたいことがある。
症状を持つ家族の介護や世話をするのは、家族としては当たり前だし、素晴らしいことでもあると思う。でも本当に物凄く心身ともに大変であることも事実だ。綺麗事だけでは介護はできないと思う。なので、病気のご家族のお世話をしながらでも、是非ご自身の心身の健康を損なわないよう防衛をしていただきたい。疲れ果てて、身も心もすり減り、倒れてしまっては共倒れなので。誰も守ってはくれない。厳密には色々な補助制度や、ご兄弟、親戚などからのサポートもあるかもしれないが、最後に自分のことを守ることができるのは、ご自身だけだと思うので。
話は戻るが、妻はよくベートーベンの第九の替え歌を歌っている。あの曲のキーは女性にはかなり高いようなのだが、それでも超高音域のところにもしっかり様々な言葉を詰め込んで、しかも音を外さないところは天才的だ。年末だから第九なのだろうか。クリスマスソングもたくさん歌っている。替歌で。季節感はキープしているようだ。
もう一つ、言葉の洪水の中で浴びせられたショッキングだった一言がある。それは、
「schizo、おまえ、ロン毛にしろ!」
というものだ。
この、私のことを事もあろうに「おまえ」呼ばわりするのも聞き捨てならんと思うが、つい最近散髪に行ってスポーツ刈り並みに短くしてきたばかりの人に向かって無茶なことを言うものだ。せっかく散髪回数を減らして少しでも節約しようと思っていた矢先だったのに。
次の日、妻の調子がほんのわずかな時間戻ったので、聞いてみた。
「昨日、phreniaに“ロン毛にしろ”って言われたんだよね・・・」
「うん」
妻も常々ロン毛にして欲しいと思っていたかのような反応だった。
え?とすると、あの滅茶苦茶な言葉に混ざって放たれたロン毛指令は本心からだったと言うことか?
仕方がないので「今クリスマスまでに髪を伸ばそうと頑張っているところなんだよ」と言っておいた。伸びるだろうか。