妻の発病前の様子について

これまで、妻が発病して以降のことばかりこのブログで書いてきたような気がする。

おそらくブログを読んでくださっている方々の妻に対する印象は、私が”妻は何十時間も叫び続けてモノを壊す”みたいなことばかり書いているので、かなり「悲惨でかわいそう」なものになっているのではないだろうか。こういうことばかり書いてきた私が悪いのだが、一度、妻の名誉のためにも発病前の状態がどのようなものであったかということを記しておきたいと思う。

妻のもともとの性格は、真面目かつ几帳面、コツコツ何事も辛抱強くやるタイプで、学生時代からかなり勉強もできた方だった。かといって、真面目一本やりでカタブツかというとそうでもなく、真面目な中にもウィットが光るような、少しイタズラっぽい面も持ち合わせていたように思う。

実家の家族を大事にし、綺麗なもの、可愛いもの、小さな猫などが大好きで、好んで小さな花柄などの洋服を着ていた。流行に流されるタイプでもなく、自分で好みのものを選んで、おしゃれを楽しんでいるような感じ。流行とは少し違うものを着ていると言っても、大きくずれているわけでもなく、少し色が個性的だとか、そういう印象だ。

頭が良いタイプの人にたまに見られるような厭世的なところや、シニカルな感じもなく、どちらかというと夢の中に生きているような、人生に対して希望を持っているというか、何か絶対にいいことが起こるはずだということを信じているようなふしがあった。この人に、例えば全てを打ち砕くような「人生の悲惨の極み」のようなものを見せたら、とても耐えられないだろうなと感じるような、そんな純粋な印象だった。逆にいえば、ある種の脆さを感じたということかもしれない。

私に対してはどうだったかというと、常に私のことを第一に考えてくれていていたように思う。私はどちらかというと向う見ずな、勢いでなんとか突破するようなタイプで、ともすれば危険な賭けにでも出ようかという面があるのだが、妻は何事に対しても慎重で、常に私に対して軌道修正を促すような、もう少し安全策をとるように誘導するような、そんな存在だった。かつて、実際に私は今でもよく新聞で訃報が出るような、危険な、しかしカッコイイ職種に好んで就こうと面接や試験なども受けていいところまで行ったりしていたが、あまりに激しい妻の反対に直面して断念したことがなんどもある。あの反対を押し切り、そのような職業に就いていたら、もしかすると私は今頃この世にいなかったかもしれない。

少し物理的な話になるが、一緒に狭い螺旋階段を降りている時に、いつものように格好をつけて、狭い側(階段の内側が三角の頂点のように狭くなっていた)を降りていて、妻に広い側を降りさせていたら、私がおっちょこちょいにも足を踏み外し、落ちそうになった。その時に、妻が(その時はまだ妻ではなかったが)、あの小さな体と細い腕で、なんと私を上から引っ張り上げたことがある。私は実のところ体半分くらいの距離をもう滑り落ちていたのに、だ。私の身長は、日本人男性としては最大ではないが、どちらかというと大きめだし、いわゆる中肉中背なのだが、私の肩ほどの身長しかなく瘦せ型の妻が私を引っ張り上げた時にはかなり驚いた。これは上で書いた脆さとは反対に、意思や芯の硬さだろうか。“しなやかで芯が強い”という感じではなく、“芯は硬いが脆い”という感じだ。

人間関係的な面では、妻は仲の良い女性の友人も何人かいて遊びに行ったりもしていたし、当時流行っていたmixiなどもやっていた。職場では男性社員からマドンナ的な扱いを受けていたり(これは妻から直接「あなたは職場のマドンナですと言われたよ」と聞かされた)、およそ今の病気の状態とは懸け離れた、どちらかというと素晴らしい印象を受けるが、発病前から全てが完璧で良い面だけではなかった。

具体的なマイナス面というか、危うい面は、例えば妻が極度に職場のセクハラに対して拒否反応を示すほど厳しかったり、職場のイジメ問題に首を突っ込んで、いじめられている側の代理のような形で戦ったりしていた。セクハラ上司にも容赦なく、セクハラ上司をバカにし、全く敬わず、逆にクズ呼ばわりして、上司から「オカシイ人」扱いされて産業医と面談させられたりしていた。同様にセクハラされても物ともせず、逆にそれを利用して上司に取り入ろうとするような女性社員にも露骨な嫌悪感を示し、真っ向から対立していた。

私に対するマイナス面はといえば、例えば私の女性関係をどこまでもどこまでも疑ったり、職場にまで現れたり。別に何もなくとも、携帯の中に女性の名前があるだけで、削除の対象になったし、仕事関係でどうしても登録が必要な人物といえども、妻が許さないものに関しては、すべてノーだった。挙句の果てには携帯をへし折られたりもした。会社での昼休みに、妻に電話をすることがあったのだが、心配性の妻はいつまでも電話を切ることができず、「もうお昼休憩終わったから職場に戻んなきゃ」と私が言っても電話を切ってくれず、こちらが切ってもまたかかってきたり。

ある時、私が会社にいる時に台風があり、高潮警報なども出ていたことがあった。しかし、当時の私のいた会社はいつものように夜中11時過ぎても会議をしていた。私の会社はいわゆるウォーターフロント的なエリアにあったので、妻は相当心配になったのだろう。私の携帯に電話をかけ、ひとしきり私と話した後、ついに会社に電話をかけてきた。「旦那を帰らせろ」という内容だったらしい。台風の夜に、夜中11時すぎまで旦那を帰さないとは何事か、と。そういう内容だったと電話を受けた方から聞いた。これを機に、妻の会社への電話はエスカレートしていった。まあ、正直な話、私は妻が悪いとは全く思っておらず、当たり前のように連日連夜社員を真夜中まで働かせる会社に相当な非があると思っているのだが。
それでもやはり、多くの方が受け入れている、もしくは受け入れざるをえない現実に対して、妻は「ダメなものはダメ」という、何か原理主義的とも言えるような、悪く言えば狭量だが、良く言えば至極真っ当に、間違った事柄に対して真っ向から挑んでいたように思う。

要するに、純粋培養で理想的な社会では女神か天使のような存在として生きていけるが、清濁混沌とした“現実の”社会では、到底正気を保っていられないという、弱さもあったのだと思う。

私も、妻の「理想的な、良い面、良いものだけを見て生きていきたい」という願いはわかっていたので、周りの環境をそのように近づけるべく頑張りたかったが、実際には妻の職場で連続で自殺があったり、日常的にいじめセクハラ長時間労働、そしてそれを受け入れる、または受け入れさせる、社会的土壌なども存在する中で、私自身も自分の所属する会社でがんじがらめになっていて、上司や会社とのせめぎ合いもあり、とても守りきれなかったのだと思う。

その果てに、今の妻の統合失調症があるのだと思う。

病気になるやつが悪い、とか、弱いからそうなるんだ、という見方があることも承知している。ただ、私が思うのは、妻のような、決して理想をあきらめない、夢のような、全てが調和した、汚いもの、歪んだもの、間違ったものが何もない世界を望む心のようなものが、今の“歪んだ社会と、それに慣れてしまっている人間”というような状況を改善するための、何か突破口のようなものになる気がするのだ。

単なる、脱落者、落伍者、敗者というふうに扱うのではなく、むしろ歪んだ社会でがんじがらめにされ、どこか諦めながら生きていかざるをえない人々を解放するために警鐘を鳴らす者として、社会全体が統合失調症患者を認識するようになれば良いなと願っている。

妻は今日も、まるで小さな子供のようになって一日を過ごしているが、その中にものすごく純粋な心を感じ取ることができる。基本的なところは、元気だった頃と何も変わっていないのだ。

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コメント

  1. Kirara より:

    >今の歪んだ社会と、それに慣れてしまっている人間という状況を改善するための、何か突破口のようなものになる気がするのだ。
    とても考えさせられました。
    昔、知り合いだった統合失調症の方も、思えば頑なに真面目で純粋なところがあったように思います。
    でも、そこを突き詰めて考えると、生きづらくなりそうで怖い…。

  2. 香菜子 より:

    香菜子です。いつも参考にさせて頂いています。先日、精神疾患・統合失調症のご家族をお持ちのかたとお話をしたところ、真面目で几帳面、自分のルールを守ることを最優先する、頑固で強情で他人の意見を聞かない、思い込みが強い、白黒はっきりつけたがって中庸がとれない、自分の価値観や信念を曲げない、神経質さと鈍感さの二面性がある、こういった性格が精神疾患・統合失調症になりやすいとお聞きしました。schizo様の奥様もそのような面もおありだっということですし、わたしの家族もそうでした。やはり、このような繊細さというか真面目ゆえに融通が効かないというか、そういう性格が精神疾患・統合失調症につながってしまうのでしょうか。わたしの家族も森田先生の森田療法の精神のように、あるがままを受け入れる心のゆとりがあれば、病気にならなかったのかしらと思ったりします。香菜子

  3. schizo より:

    kirara さん
    コメントありがとうございます。
    「突破口」というのは少し表現が大げさすぎたかもしれないなと今となっては感じています。すぐその下に「警鐘を鳴らす者」と書きましたが、そちらの方がしっくりきます。病気の発現によって”行き過ぎてるよ”、”危ないよ”、”耐えられないよ”みたいなことを示しているようなイメージです。
    頑なで純粋というところは良い面なのかもしれませんが、同時にそれのせいで自分自身にもダメージがあるんですよね。許せないことに対してその都度激しく怒ったりすると、かなり消耗しますよね。妻も自分自身の怒りエネルギーの反作用をもろに受けています。私は妻に「嫌な人がいても、ダメな人がいても、許してやれ」とか、「もう良いじゃないか」とか言ったりもしますが、妻は頑として聞く耳を持たない感じです。もう少し、楽に生きて欲しいのですが。。。統合失調症ゆえに許せないのか、許せないから統合失調症になるのかわかりませんが、柔軟性の欠如と統合失調症は、かなりの確率で表裏一体のような気がします。

  4. schizo より:

    香菜子さん
    コメントありがとうございます。
    まさにおっしゃる通りだと思います。真面目、几帳面、頑固、強情、思い込みが激しい、中庸が取れない、価値観・信念を曲げない、神経質な反面鈍感、などなど。やはり妻にもピッタリ当てはまります。鈍感というのは、やはり神経質さと頑固さなどの裏返しで、そのせいで他人の意思、思惑、希望などには全く無頓着になる、ということなのかなと思います。これらの面は、例えば何かを成し遂げる場合などには、ものすごい推進力になったりもしますが、一旦自分の思惑から外れた場合への対応という面では、恐ろしいほどの脆さにつながります。こうなった場合の精神の全面的崩壊がおそらく(全てではないにしても)統合失調症の大きな引鉄ではないかと思ったりもします。
    あるがままを受け入れる精神、というのは、ある程度客観視できる人や、現実とある程度距離を置くことができる人には理解と実行ができるのかもしれません。しかし、本当にその精神を理解してほしい人物にとっては、理解することはできない、もしくは、むしろ受け入れがたいものなのかもしれません。なぜならそれは信念を曲げることになるから。要するに、普通の人のように、「しゃあない」とか「まあ良いじゃん」といようなことが、全くないのですね。私自身の希望としては、いつか妻がこの受け入れがたいものを、何らかの形で、自分自身の方法で、乗り越えてくれることを願っています。

  5. Takeman より:

    私の妻も同じような感じです。
    自分が正しいと思ったことは最後まで曲げず、そのせいで自分自身を追い詰めていってしまうので、生き方が不器用だなあと感じることもあります。
    ただ、その一方で、うまくは言えないのですが、そういう生き方をすることでしか、この世界に対して自分自身の居場所を作ることができないのかもしれないなと思うこともあります。
    なので、どうしたらもっと良い形で妻の居場所を作ってあげることができるのだろうかと考えています。

  6. schizo より:

    Taken さん
    コメントありがとうございます。
    やはり同様というか、共通した特徴をお持ちなのですね。本当に不器用で、真っ正直で、どんなにそのせいで不利益を被ったり不都合が生じたとしても、その生き方を曲げないと言う生き方。でもそうすることでしか生きていけない人たちがいるというのも事実なのですよね。おっしゃる通り、居場所を作るというのは大事なことだと思います。とはいえ、清濁混淆としたこの世の中で、往々にして自分自身のその不器用な生き方で、自らの居場所を失ってしまうような人に対して、いかにしてそういう人たちの居場所を確保するのか。難しい問題です。私としては、もっともっとこんな純粋な人たちに対する社会の認知と受容が進んで、ある種の立場のようなものが確立されたらいいなと願うばかりです。

  7. より:

    毎日お疲れ様です。今回の記事も興味深く読ませてもらいました。
    既に書かれていたらすみません。毎回感じていたのですが、奥様の両親、家族は主さまとどの様にお付き合いされているのですか?

  8. りえこ より:

    初めまして。
    じつはこちらのブログ、2年ほど前からちょくちょく拝見させていただいておりました。
    私事ですが、今年3月に結婚をし、主人と暮らすようになり、以前にも増してschizo様と奥様のやりとりに心打たれるようになりました。
    schizo様が、深い愛情を持って奥様を支えておられる様子を拝見していると、涙があふれ、夫婦のありかたについて深く考えさせられました。
    私自身も強迫性障害を患っており通院しているのですが、これからの人生、夫婦で支え合い、信頼し合い、感謝の心を忘れず毎日を過ごしていきたい、この先何があっても前向きにがんばっていこう、という気持ちになれました。ありがとうございます。
    schizo様、まだまだ毎日暑いですがどうぞご自愛下さいませ。
    失礼いたします。

  9. schizo より:

    愛さん
    コメントありがとうございます。お返事が大変遅くなりました。ご容赦ください。ここ最近妻の調子が思わしくなく、調子の悪い頻度が多かったため夫婦共々寝不足かつ夏バテしております。
    ご質問の妻の両親と私の付き合いについてお答えします。発病前は妻の母とは多少付き合いというか、行き来があり、一緒に食事をする機会などもありましたが、父の方は妻の母親との関係があまり良くなかったこともあり、日頃の付き合いは皆無でした。父の方は妻の発病後に急に登場してきた感じで、執拗に離婚を迫られ、警察を呼ばれたり、職場近くで待ち構えられたりと、あまりいい記憶はない人です。妻の両親とも、妻の発病後はとにかく入院ありきで、過去に入院したせいで妻の症状が悪化したこともあるにもかかわらず、とにかく入院、とにかく薬品投入、医師に対する信頼は絶対、そして私に対する信頼は皆無、という感じで、必然的に疎遠になっています。
    妻に対する愛情には疑う余地はなく、それは私とも共通しているのですが、どのように病気と向き合うかという基本姿勢が正反対なのですね。このブログにも以前書いていますが、妻はとにかく薬が合わず、最後は末期的副作用が出て、それ以上向精神薬を投入できないところまで至りました。そして妻は入院先から決死の脱出をしてきた、という経緯もあり、また私も当時の副作用を見たり、人の自然治癒力をある程度信頼しています。ですので現在の病院の治療方針には深く感謝しつつ過ごしていますが、おそらく今後妻の両親と話し合いなどする機会があったら、まず絶対に意見が分かれ、決裂することは目に見えています。おそらくですが、このまままだ疎遠な時期が続くかと思います。ただ、妻は両親を憎んでいるとかそういうことはなく、お母さん誕生日、お父さん誕生日と、ノートやカレンダーに書いてお祝いしているので、両親のことは好きなのですよね。ここが難しいところです。この先どうなりますか。。。

  10. schizo より:

    りえこさん
    コメントありがとうございます。そしてご結婚おめでとうございます。
    3月でしたら、まだまだ新婚ホヤホヤですね。楽しい毎日をお過ごしなのではないでしょうか。りえこさんご自身がご病気を抱えておられるとのこと。信頼する人との生活は、心強いとは思いますが、それでも様々な出来事や困ること、難しいことなども起こってくるかもしれません。でもご主人と仲良く、協力して、きっと全て上手く乗り越えていかれることと信じています。先々が楽しみですね。機会がありましたら、こんな闘病ブログですが、またあそびに来てくださいね。

  11. もは より:

    自分の兄貴も統合失調症になってもう10年近くになります。自分は物心ついた時には兄は統合失調症でした。薬の治療をずっとしていて入退院を繰り返しています。兄貴はもう27歳なのですがバイトなどする事ができないので家でゲームをしたりカードゲーム、コロコロコミックなどを読んだりしています。薬を飲むと喉が乾くのか2リットルの炭酸ジュースを1日に5本くらい飲む時もあります。昼間は寝ていて夜中に永遠と歌っていたり誰かとしゃべったりしています。母親は睡眠不足やストレスで倒れいまは入院しています。そんな時このブログをみさせていただきました。凄く凄く気持ちがわかります。こちらもストレスが溜まり時には本当に殺してやろうかと思う時もあります。ですがいつかの奇跡を信じて頑張るしかないんです。お互い頑張りましょう。

  12. mia より:

    こんにちは。
     うちの娘も奥様のような状態で(もう少し認知が低下した状態)、薬は止めて様子を見ています。
     断薬後、2年半経ちました。
     なかなか難しいですが、少しずつ良くなっている部分もあるような気がします。
     blogはいつも参考にさせて頂いています。
     状態は良くなったり悪くなったりの繰り返しで、大変ですよね。
     私は長い目で見て頑張ろうと思っています。
     
     奥様とschizo様、いつも応援しています。
     

  13. schizo より:

    もはさん
    コメントありがとうございます。
    お返事遅れてしまいました。状況を想像するに、ものすごく大変な状態ですね。お母様も倒れて入院されているということで、もはさんの肩にのしかかる負担を思うと、まだお若いということもあり、想像を絶するものがあります。適度に気分転換をしながら、あまり背負いこまないよう、何とか乗り切ってください。応援しています。薬の副作用は確かに喉が異様に乾くようで、妻も服薬を続けていた頃は、私と歩いていても一人だけ2リットルの水のペットボトルを持って歩いたりしていました。ただ、お兄様の場合は、2リットルの”炭酸ジュース”を5本ということで、糖分の摂りすぎが心配です。統合失調症には糖分の摂りすぎは良くないようですので、できればもはさんからもそれとなく何か他の飲み物を摂るよう促してみてあげてください。確かにストレスは溜まりますが、お兄さんにとって、何より頼りになるのは家族ですので、奇跡を信じて、お互い頑張りましょう。

  14. schizo より:

    miaさん
    コメントありがとうございます。
    miaさんのブログをリンクを辿って開いてみました。
    ブログタイトルを目にした途端に涙が出てきて、各記事のタイトルを目で追うだけで、目が開けられないほどの状態になってしまい、ほんのすこしの記述だけしか読めませんでした。ブログのタイトル下の短い紹介文を読んで、おそらく妻と非常に似たような経過をたどっているのだろうなと思いました。私の妻も、薬の副作用で脳に大きなダメージを受けていると思います。医師ははっきりとは言いませんが、薬の副作用による知的障害と言うのは、厳然としてありうるものだと思います。今はあまりにも辛すぎて読めませんでしたが、いつか妻の状態が良くなった時に、少し余裕を持ってブログを拝見できるようになればいいなと思います。みっちゃん、良くなるといいですね。祈っています。