精神科病院における傷害事件などの不祥事について

今日、千葉県の精神科病院で入院患者が暴行を受け、その時の骨折が死亡原因となったとのことで、傷害致死事件として警察が捜査中というニュースが流れた。

私はこれまで、向精神薬の新薬の投与により患者が死亡したことがニュースになったときにも、何も書いた事はなかったのだが、やはり統合失調症の妻を持つ以上、この病気に関する関係者であるのであって、まったく自分だけ知らぬ存ぜぬで見て見ぬ振りはできず、私見を書く事にした。この小さなブログで何かを述べても何にもならないかもしれないが。

まず、被害者の男性に心より哀悼の意を捧げたい。ご家族のやりきれない思いも察するに余りある。どこに怒りをぶつけたら良いのか、ぶつけるところがあったところで、もう時既に遅く、被害者の男性は戻ってはこないのだから。そしてこの事件の日付。2012年1月だ。それからずっと、2015年6月まで3年以上にわたり、被害届を警察に出されるまで、ご家族はどのような苦しい日々を送ってこられたか。

私の妻も、このブログにも何度も書いているが、とある都会の病院に入院していて、あまりの劣悪な入院環境に耐えきれず、意識のはっきりしているときに必死の思いで逃げ出してきた。まさに脱出してきたと言っていいかもしれない。私自身も毎日お見舞いにいき、どんなに劣悪な環境だったかは身を以て感じた一人でもある。

もちろん、一方的に医療施設で働く看護師の方々を責めるつもりは毛頭ない。少ない人数ながら、できる範囲でおそらくそれなりの使命感や責任感を持って、日々の看護や業務に当たっておられると思う。目が行き届いているか、看護は十分かと考えると、決してそうとは言えない。私自身も、妻の入院時の看護に関して到底満足などしていない。

だが、問題は上にも書いたが、

“少ない人数ながら”

というところなのではないだろうか?

本当に少ないのだこれが。数十人の患者にわずか数人で対応していたりする。

私が面会に行ったのは、仕事が休みの日には午後の明るい時間だったり、仕事帰りでは夜7時頃だったりする。もっと遅い時もあり、頼み込んで入れてもらって面会したこともあった。明るい時間帯だとまだ看護師の方々は多くいらっしゃるが、夕方5時とか6時でちょうど固まって「お疲れ様でした〜」などと何人も帰宅されているところを何度も目撃した。これ以降、病院に残された人数はほんのわずかとなる。守衛室に数人、外来はゼロ、入院病棟の医局に数人、夜の配膳前なら給食室に何人かいるだろう。

そして、実際に夕方以降入院患者の看護をできるのは、わずかに数人なのだ。入院患者は何度も書くが「数十人」か、もしかしたらそれ以上だ。

多くの患者の状態は、話が完全に通じる人はごくわずかだろう。ぱっと感じただけでも多くの意思疎通不完全な人々が病棟にいて、その人たちの世話を夜通しわずか数人でこなすのだ。それに加えて、閉鎖病棟ではあちらからもこちらからも、すすり泣く声、叫び声、独り言、そして絶え間なく看護師さんを呼ぶ声。

このブログを読んでくださっている方々の多くは、ご家族やご本人が当事者である場合も多いと思うので、ここまでの状況を読まれても「よくある光景だ」と思われるかもしれないが、おそらく今回流れたニュースを見て、関連した情報を検索などしてこのブログにたどり着かれた方にとっては、かなりショッキングな事実なのではないだろうか。

わずか数人で、夜通し、100%意思疎通のできない患者さんたちの看護を、継続的にくる日も来る日も、完全に遂行するなど、「至難の業」だ。私からしたら、とうてい人間技とは思えないほどだ。この状況で全部を完璧にこなせる人がいたとしたら、本になると思う。伝説の看護師だ。

なので、繰り返しになるが問題点は「少ない人員で対応せざるを得ない状況」であり、それに対して責任を持つ方々にあると言わざるを得ない。

要するに、病院の経営側だ。

必要な時に医療を受けられるというのは確かに安心ではある。

しかし、現在の医療施設の主要な問題点の一つは、「過剰な医療を行い、患者への費用請求や薬剤処方の点数などの形で、国に対して多くの金額を請求し利益を上げつつ、人件費をはじめ医療施設のコストは最小限に抑える経営姿勢」にあるのではないだろうか。

一般の企業であれば「利益を最大限に伸ばしつつ、コストは最小限に抑える」ことが、今回のような事態に至る事はあまりないかもしれないが、これは医療の領域だ。人のケアをするべき施設で人のケアができていない、ということで、要は過小投資ではないかと思うのだ。

私は、妻がずっとあの都会の病院にかかっている間、「うちはあの病院のお得意様だ」と自虐的に思っていたが、当たらずとも遠からずだと思う。

病院の経営者の方々、暴利をむさぼってはいないだろうか?
患者からむしり取れるものはすべて奪い取っていないか?
患者を馬鹿にしていないか?少なくとも甘く見てないか?人として扱っているか?
医療施設で働く人々から搾取してないか?少ない人数にして、安くこき使ってないか?
他人の目(患者自身、患者の家族、医療従事者および関係者)を侮ってないか?

捜査に関しては、これらの点にも注意しつつ、よく事態を背後関係も含めて検証していく必要があると思う。

うやむやにしてはならない。もしも、単に現場で実際に事に当たった看護師たちだけのせいにして、トカゲの尻尾切りをでお茶を濁すようなら、問題は絶対に解決しない。

統合失調症は100人に一人といわれる病気だ。現に今現在この病気にかかっている人、そしてその家族のみならず、まだ罹患していない人々も決して人ごとで済むとは限らないのだ。いつ自分や家族、知り合いが当事者になるかなど誰にもわからない。

だからこそ、このニュースに触れた全ての人々を含め、関係者全員が、決してこのような被害がまたどこかで出ないようにどのようにすべきか、根本的解決を図る方向で考えていく必要があると思う。

最後に、私は何も全ての病院の経営側に同様の傾向があると言うつもりはない。もし上記のいずれにも当てはまらない病院があるのであれば、それはこの利益最大化とコスト削減の時代にあって、まれに見る世にもすばらしい病院なのであって、むしろ皆こぞってその病院の世話になりたいと思うだろう。いかに病院間の競争が激しくなろうとも、そのような病院の経営は安泰だろう。今回のような事件がおこる可能性も限りなく低い。

反対に、もし上記のような傾向が全てもしくは少しでも当てはまるような病院があれば、同様の事件がおこる可能性は極めて高いだろう。そうなればニュースになる可能性も高く、病院の経営にも多大なる悪影響が及ぶ。そのようなことにならないためにも、病院の経営側の方たちにも、経営姿勢から今一度見直していただきたいのだ。

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コメント

  1. すず より:

    こんにちは
     
    精神疾患、認知症などのかたがたに対する非人道的な行為を聞くと私も怒りに堪えません
    人間に備わっている、残酷さ残忍さ弱さなど、弱者にのみ向けれらているよう思えてしまいます。
    精神障害より身体障害でよかったと、聞くと心がふさがります
    こころが健全ではないからこそ、健全なかたがたの手助けが必要なのに・・・
    SCHIZOさま、もし、精神障害、認知症は期間限定で、パーフェクトに完治するのなら、対応は異なっっていたのでしょうか
    千葉けんの事例のように暴れたから、結果骨折ではなく、暴れなくても骨折はどうしたらよいのでしょう
    これが現実と、覚悟とあきらめ必要でしょうか
    私の息子も同じ病です

  2. schizo より:

    すずさま
    おっしゃる通り、人には弱さや攻撃性が備わっていて、決して完璧な存在ではないですよね。
    健常者と言えども、なんらかの圧力を受けたり、状況・環境的なストレスを受けたら、その不完全な部分が顔をのぞかせて、より弱い立場の者に対して残酷になったりしてしまうこともあるのだと思います。
    精神障害や認知症が期間限定でパーフェクトに完治する種類の病気であれば、看護する側の立場からすると、少なくとも患者が“いつ終わるとも知れない底なしの仕事を与えてくる存在”ではなくなるので、ストレスが減って、看護者のフラストレーションは減るかも知れません。それでも今回のような事件が完全になくなるとは言えないかもしれないですけれども。
    今のままでは、暴れなくても骨折させられる場合もあると思います。拘束具の使用もそうですし、とにかく医療施設の傾向として「とりあえず押さえつけておく」というのがあるように見受けられるので、患者が暴れなくても、暴力、押さえつけ、その他大なり小なり虐待はあると考えざるを得ないのが現状だと思います。
    でもだからといって、患者やその家族が、これが現実と諦め、覚悟しておくとうのは、あってはならない事です。
    肉親が、子供が、知り合いが、当事者になってしまい、ひどい扱いを受けるかもしれないのに、黙って甘んじてされるがままにする、というのはしたくないし、やはり、できないと思います。
    なので、今回のような事件がおこるたびに思うのですが、関係者ひとり一人が、できる範囲で、行動で変えていくしかないのかなと思っています。
    今、私の場合は、妻を入院させず自分で介護するということしかできていませんが・・・。

  3. すず より:

    諦めたり受け入れたりしてはならないことです。
    SCHIZO様やここにコメントされる方々も思いは同じと思います
    又、そう信じています
    でも、無力による怖さも否定できないです
    私と主人は同じ年です、主人になにかあったら、息子とともに生き抜けるのか、己一人でも大変なのかもなのに・・・
    いずれ最後に残る息子は・・・黙って甘んじてされるがままにできなくとも、どうやって守れるのでしょうか
    ごめんなさい、
    こちらにこられる方々もたくさんの思いあるでしょうに
    むすこは、にこにこと、
    大丈夫、お母さんと一緒に老人ホームに入るからー
    といいます
    そんときゃそんとき、五体満足でも災難は降る、理不尽なこともあると主人は言います
    命があることに感謝して、前を向きたいです
    ありがとうございます

  4. schizo より:

    すずさんのご心配もよくわかります。
    私は妻よりも年上で、また子供もいないので、いずれ残されるであろう妻はどうなってしまうのだろう、とよく考えたりしてしまいます。
    ですが、ご主人の言われる通り、五体満足でも、今が何不自由なくても、災難はいつ誰にくるかもこないかもわかりませんし。ご主人も息子さんも明るくて、頼りがいがあるのできっと大丈夫です。
    妻は今隣で独り言を言いながら、けらけらと笑っています。
    私は妻の笑顔が少しでも多くなるよう、できることをやっていこうかなと思っています。

  5. すず より:

    こんばんは
    SCNIZOさま、PHRENIAさま
    ありがとうございます
    とても大事な事柄を私の愚痴で台無しにしてしまいました
    ごめんなさい
    うちってどういう家族なんだろうね と聞いたところ
    愛があるー と息子
    朝日とバナナは頭にいいー と主人
    やはり・・・ちょっと・・・です
    梅雨時でも朝日なくても早起きです
    主人が、8時過ぎまで寝てると、体が壊れるというので
    そんなこと聞いたことないですけど、家訓のひとつです
    おはよー 着替え 顔洗い をすれば眠ければ、寝なさいと
    お昼も、夜も同じことです
    何か面白いお話でもできたらいいのですけど
    おかしな我が家の家訓紹介でした
    笑顔 あふれますよう