殆ど介護のような生活を続けていて、希望がないときはストレスのせいかお金を使い過ぎぎみになり、多少希望がわいてくるとお金の使い方が生産的になる気がする、というのを以前書いた。
その関連で、今年に入ってからずっと仕事関連の機材等の見直し&リストラを敢行しているが、最近気づいたことがある。それは企業の囲い込み戦略が、必ずしも長期的にはプラスとならないのではないか、ということだ。
前に、あまりにも企業戦略に乗せられてきて、どうも買いすぎた、ということを書いたが、この企業に限らずどの企業も、入り口の敷居は低くし、顧客が逃げないように出口の敷居は高くする(切り替えコストを上げる)というようなことをしているが、この戦略は本当に長期的に機能するのか疑問だ。
私などは、この買いすぎた企業から、いま全力で逃げようとしている。もうすべてこの企業に関連するものは見たくないほどだ。要は嫌いになったのだ。
それもそうだろう。これまであまりにもスマートに、かっこよく振舞われて、まるで当然のごとく大金をつぎ込んできたし、そうすることがステータスだとさえ思い込まされてきたが、スマートさときらびやかなイメージの背後に隠された狡猾で貪欲に人の財布を狙う浅ましい姿を見てしまったのだから。一度冷静になって、周りを見渡すと、もっと良心的な企業もあるのだ。
もうこうなると、嫌いになってしまって、二度とかかわりあいになりたくないと思ってしまう。こんな会社には二度と財布の口を開きたくないし、見たくもない。スマートできらびやかな看板に落書きをして、みんなに「だまされるな」と知らせたいほどだ。どんなに切り替えコストが高かろうと、切り替えて見せる、という闘志すら沸いてくる。
元々マーケティングやセールスの理論は、人間は経済合理性に則って行動する、なんていうある一定の仮説に基づいているものだと思うが、正直きらいだとか、もうそういう風に感情的になってくると、経済合理性なんてどうでもいい。人は本気になると仮説の枠など簡単に踏み越えるものだ。だから人にそこまでさせるほどのいやらしいマーケティング/セールスをやっている企業は、見放されるのだ。そして長期的に失敗する。
まあ元々の仮説が多少人を小ばかにしたところがあると思うので、どうせ事業をするなら、あまり経済理論やマーケティング理論を振りかざさず、もっと人間らしいあたたかい商売をしてもらいたいものだ。お客さんのためにも、そして中で働く人々のためにも。