初詣

今日は明日よりも暖かいらしいので、近所の神社に初詣に行った。

妻も昨日は体調が悪いようだったが、今日は「着替えな」というとそそくさと着替えに行ったのでどうも病気の症状の方も○程度のようだ。ここ最近の病気の調子はと言うと、

30日 ◯(◎)
31日13時~14時×→14時~18時××→18時以降△~◯
1日◯
2日◯→△→13時~14時××→14時以降◯

という感じ。

初詣に行っている間は良かったが、その後電車に乗って隣町の実家へ連れて行くと、家の中に入ってこず、だんだん機嫌が悪くなって△(◯と×の移行期)~×(静かな妄想状態)へ、その後帰りに立ち寄ったショッピングセンターで××(ひどい妄想と興奮状態)の絶叫が炸裂した。ショッピングセンターのトイレの前のベンチで「出て行け!」「きもい!!」「しねー!!」などとやるもんだから、通りすがりの人はさぞびっくりしただろう。しかもお正月三が日の中日。お祝いの雰囲気で歩いている家族連れが多い中、うちの妻は大音響で絶叫している。

幸い、いつもそうだが、妻は他人に物理的に危害を加えたりせず、ひたすらうつむきながら絶叫するので、危険ではないが、とにかくうるさい。

しょうがないので、妻をベンチに座らせたまま「ここで待ってな」とだけ言い残してお昼ご飯のお刺身を買いに行った。妻は魚が好きだ。これを食べたらおとなしくなるだろうことはちょっと想像がついていた。

買い物が終わり、ついでに買ったコーヒーを渡し、飲ませながら帰宅の途についた。後ろをついて来ながら、かなりうるさくて、すれ違うおめでたい人々には多少迷惑だったかも知れないが、お正月早々、こんな病気の人も世の中にはいるんだよ、ということも少しは知っておいてほしい、というのもあるのだ。世の中何不自由のない幸せな人ばかりではないのだ。

全員が何不自由のない幸せな家族とはもちろん思っていないが、見た目的にいかにも不幸そうな家族もいるのだということを知っておくのも悪いことではないだろう。

ちょっと話が逸れるが、あまりにも日本では都合の悪いものをまるで“なかったこと”とか“恥ずかしくて隠すべきもの”とする風潮が強すぎるように思う。しかし、私は思うのだ。誰だって、いつ何時どんな病気や怪我に襲われて、世の中的にイレギュラーな存在になるかも知れないのだ。そんなの誰にも予測がつかない。その時になって、“なかったこと”や“恥ずかしくて隠すべきもの”として扱われたい人なんていないんじゃないか、と思う。そういう隠す風潮が、かえって自らのプレッシャーになっていやしまいかと思う。自分だけはそうなっては絶対にいけない、というように。そして、そうなってしまった人をものめずらしそうに見るのだ。そして更に自分に対するプレッシャーが増える。

ところで、今日は何組も同年代の夫婦が子供を連れているのを見かけた。とてもほほえましい。私は子供が好きだ。見ていると幸せな気分になれる。たまに子供がこちらの目をじっと見て、笑いかけてくる。とてもかわいいので、思わず手を振ったりして、親にも気づかれて会釈をしたりする。

そんな時によく思うのだが、うちには子供がいない。これから先、出来る可能性も多分ものすごく低いだろう。妻の現在の精神年齢は、おそらく幼児並だと思われるので。“これでいいのだろうか?”とふと思うのだが、できそうもないという事実は動かないので、どうしようもないだろう、多分。私の親もあきらめている。

だからこそ、というのもちょっとおかしいかもしれないが、私は何か世の中に残しておきたいと思っている。子供の代わりというわけではないが、何か、ここにいたんだよというしるしを残しておきたい。このブログも多分その中の一つだし、できる範囲で何がしかの形にして残しておけたら、と思う。

ずいぶん話が逸れたが、帰宅すると急いでレンジでチンするお米と、インスタント味噌汁に冷凍野菜を入れたもの、それから買ってきたお刺身の準備をして、妻に食べさせた。
予想どおり。一瞬で静かになり、黙々と妻は食べ始めた。

これは今までの経験から得たことなのだが、妻が喚き散らすときは何か原因があるのだ。いろんなパターンがあるが、嫌いな人に似ている人を見たとか、おなかがすいたとか、トイレに行きたいのに行けないとか、寒いとか、疲れたとか、その他いろいろ。いずれにしても何か不機嫌になる原因が増幅して、どんどんエスカレートして手が付けられない状態になる。そのときに、なにか上機嫌になることがあると、とたんに静かになったりするのだ。赤ちゃんが泣き喚くのに何か原因があるのと似ている。

今日のところは多分、嫌いな実家に連れて行かれ、歩きつかれ、おなかがすいた、あたりが原因だろうと思うので、妻の好物のお刺身の効果が絶大だろうと踏んでいたのだ。とはいえ、いつもいつも予想が当たるわけではないし、予想した効果てきめんグッズがそうそう都合よく手に入ることばかりでもないのだが。

いずれにせよ、一ついいたいことは、こんな妻でも生きているんだし、快適や不快の意見表明はできて当たり前だし、妻に限らずいろんな人が、世間的に見て都合の悪い、恥じてしかるべき者とみなされる状態になり、家族や社会から切り離されて隔離(入院など)させられたりしているが、なにも隔離することだけが解決策ではないし、隔離したって社会的には問題はなんら解決されない、ということだ。妻は今現在、とても常識では理解できない症状を示しているが、これにしたって別に何にも理由がないわけではなく、背景にはいろんな理由があることを私は知っているし、妻個人の生来の素質のみのせいにはできるものではない。現在統合失調症にかかる人の割合は100人に一人と言われている。そんなに低い割合ではないし、誰だって発症する可能性はあるのだ。

私は妻以外にもたくさんの入院患者に会ってきたが、それはそれはかわいそうだった。入院病棟に入れば、あちらこちらから声が聞こえてくる。母を呼ぶ声、出してと叫び続ける声。静かに続く泣き声。父親に無理やり入院させられた、という若者もいた。彼ら、彼女らは元気だろうか?どんなお正月を迎えているのだろうか?

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