⑯変化の兆し

(2012年9月以降)

前回の「これまでの経緯」のカテゴリーの稿では、県営住宅入居から1年間の記憶に残る大きなことを書いたが、実は入居からちょうど1年後、とても大きな変化が起こった。

妻は元々洋服が大好きで、買い物に行くのを楽しみにしていたのだが、再発後は全く洋服にも関心を示さず、お店に連れて行ってもすぐ帰ろうとするし、着ているものもどんどん古くなっていくので、仕方なく私が適当に買ってきては与えていた。そんな妻の回復のきっかけになるかもしれないと思って、再発前に妻が好んで注文していたある通販のカタログを事あるごとに妻に見せては、「欲しいのがあったら言いな。注文するから」と言ってたのだが、それまではまったく関心を示さず、むしろカタログの女性モデルが見えないようにページを折り曲げたりしていた。あんまりたくさんのページを折り曲げるものだから、カタログの厚みが倍くらいになる。それでもめげずに妻の目の前にカタログを置き続けた結果、ついにその日が来た。

「これ、買う?」

その日は妻は朝から◎で、珍しく折り曲げずにカタログを見ているかと思ったら、そう話しかけてきたのだ。ずいぶんと久しぶりに聞くリクエストの言葉だった。2年以上も聞いていなかった。しかも、知らない人に対してリクエストしている風でもない。

ところで、私のことを知らない人扱いするというのは、その1年半前に実家に引越して以来ずっとだったが、実は2012年の夏ごろから、この知らない人扱いにも変化が現れていた。夏ごろまでは、妻は「こんなの雇ってない」だの「こんなの知らない」だの、「知らない人とは同居できない」だの言っていて、私はそれはそれは落胆していたものだが、夏ごろから、私のことを見ながら、「こちらはブラックジャック」とか、「こちらは看護師」などと言うようになって、少し格上げ(?)されていたのだ。

ともあれ、注文が来た。私はこのときものすごく嬉しかったのだが、変に感動するのもおかしい気がしたので、冷静に「それじゃ、注文書を書こう」と言って、書き始めた。その時、ふと思い立って「ここ、書いてみな。欲しいやつの番号と数量だよ。」と言って、注文書を渡した。すると、妻はなんと自分の名前まで書いたのだ。結婚後の苗字で。これには正直びっくりして、「名前、書けるじゃないか!」と喜んだ声で言ってしまった。妻は話しぶりが幼少期の言葉遣いだし、もう結婚したことも忘れていたような感じだったからだ。

あまり通常の成人ができる当たり前のことを妻ができたぐらいで喜ぶと、妻に“自分は病気なんだ”と改めて感じさせてしまうかと思って、あまり喜んだりしないようにしていたが、このときばかりは本当に嬉しかった。カレンダーに記録しているので覚えているのだが、9月17日だ。

早速注文書を出しに郵便局へ行った。普段あまり外出したがらなかった妻も、自分の注文だとわかっているのか、しっかりついて来た。

それ以降、10月からこの12月までの間になんと追加で4回くらい注文している。いずれも妻が調子の良いときに、リクエストしてきたものだ。

「これ買う?」
「お金、足りる?」

などと訊いてくる。
これは本当に嬉しいことだったが、同時に今まで出て行かなかった新たなお金の出口の出現でもあるので、それまでの2年間のお金の使い方を変える良いきっかけにもなったと思う。

それまでは、私の仕事関係の機材やソフトウエアばかり買っていた。しかも殆どカード払いで。しかし、妻の洋服は結構高いものなどもある。それに、ほぼ毎月のように今後欲しがるとなると、カード払いばかりもやっていられない。

そんなわけで、私はよくよく考えるといらないものまで買い揃えてしまっていた仕事用機材を売り払い始めた。優先順位の低いものは売るのだ。仕事道具とはいえ、今直ちに使わないモノは売り、必要最低限のもののみ残せばいい。そして、売却益でカード会社に一括で借入残高を返済すれば、月々の支払いが減るので、洋服も買いやすくなる。それに、今はまだ私の新しく始めた仕事からの収入はなかったし、妻のために出ている障害基礎年金や特別障害手当は、妻のために使ったほうが良かった。

思えば、この頃から少し先行きに希望が見え始めた気がしていて、今となっては破壊的とも破滅的とも思える当時の仕事用機材への過剰投資がなりを潜め、より建設的な経済状態をつくるように意識が向いてきたかもしれない。やはり、人間というものは何か希望があったほうが、生活態度が建設的になるように思う。

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