⑬引越し

(2011年9月)

新しい住処が決まり、引越しの準備に入った。

元々実家には再転居が前提で引っ越してきていたので、元居た場所の荷物はソファやベッド以外、全部梱包されたまま、うず高く積み上げてあったので、荷造りなどはなかったので楽だった。

引越し業者を数社呼んで、見積もりを出してもらった。安くて良い業者を探すためだ。半年前に引っ越して来たばかりなので、ずいぶん費用もかさんでいて、少しでも費用を抑えたかった。

いろんな業者がいておもしろかった。すんなりと見積もりを出して、ためになるパンフを置き、さっさと帰っていく業者、競合他社の見積額を聞きだそうとする業者、高い見積もりを出しておきながらその場で決めさせようと何時間も粘る業者、新人でフレッシュな感じの業者、頼りになりそうな姉御肌の業者。

もちろん、最初のあっさり見積もりを出してきたところにお願いした。何よりもこちらのことを考えてくれているということがわかったし、価格も最安レベルだった。

最高だったのは、いやらしく粘る業者に私が困っていたら、妻がおもむろに近づいてきて、私が業者に出しておいた水をその業者の頭にかけたことだ。静かに近づき、コップを持ち上げると、静かに頭の上で傾けて全部こぼした。無言だった。これは助かった。なかなか帰ってくれなかったので。もちろん口頭では「あぁぁ。すみません」と言っておいたが、あの人はまあしょうがない。

そんなわけで業者も無事決まり、引越しの日まであと数日となったある日、実家で最大の喧嘩が勃発した。もう今となっては原因は思い出せないが、その時に母も兄も、妻にも私にもずいぶん怒った。私は実家の家族にも妻にもずいぶん怒りをぶちまけた。妻も怒っていた。で、その時に兄も母もそれまでたまっていたが我慢していた分の怒りを全部吐き出したようで、その日を境に引越しの日まで、ずいぶんと静かになった。

引越し当日、朝早くに業者が来た。ピアノが搬出され、ソファ、机、箱がたくさん、あっという間に運び出された。私は妻を実家に置き、一人自転車で新しい引越し先に向かった。荷物引取りのためだ。業者と時間を決めておき、間に合うように行ったので、搬入もすんなり行った。

それからが大変だった。

一度実家に帰り、妻を伴って家を出た。いよいよ体も引越しだ。母に見送ってもらった。といっても隣町で徒歩1時間半、電車ではすぐの場所だ。

新しい家に着くと、妻が部屋に入ろうとしない。団地の入り口の縁石に座って動かない。
私は、荷解きもあるし、すぐにガス屋さんも工事に来る予定だったので、しかたなく飲み物だけ妻に渡して、部屋に行って荷解きなどをしていた。ガス屋さんが工事をしていたとき、外に妻の様子を見に行ったらいない。

逃亡した。

「え!?この家は妻的にOKではなかったのか?」OKだったはずだ。なのになんで???

しかたないので、ガス工事だけ立ち会って、妻を捜しにいった。妻にはGPS携帯を持たせていたので、なんとなく居場所はわかった。すると、なんとガス屋さんがクルマで妻がいそうな場所まで私を送ってくれた。

それから数時間、GPS携帯の指し示すあたりをくまなく、足が棒になるまで探した。午後3時くらいから暗くなるまで。GPS携帯は精度がいまいちなのか、正確には場所がわからない。どんどん探す範囲を広げて、相当歩いたが、いない。9月1日だったが、まだ残暑も厳しい。ついに限界になって、警察署に捜索願を出した。そして、しばらく警察の人と探したが、それでもいない。すると、暗くなった頃に警察に県庁から連絡が入った。ロビーに身元不明の女性が座っていると。

そこは住宅の抽選会が行われた場所だった。無案内な土地で妻が知っている数少ない場所のひとつだった。ここは盲点で、探してなかった。妻はここで、何時間も座っていたのだろう。暑いのに、何時間も、現金も水筒も持たず、一歩間違えば本当に危ない。ただ、冷房の効いた室内で本当に良かった。

帰り道、途中でお弁当を買い、妻と一緒に公民館のようなところで食べた。お茶もがぶ飲みしていた。一安心。

二人で新しい家の敷地まで戻ったが、夜なのに妻はまだ家に入ろうとしない。私もずいぶん外で粘ったが、荷解きもあり、しばらくしてまた縁石に座る妻を残して部屋に行った。たびたび様子を見に外に出ては入って荷解きをした。

数時間後、私はあまりにも疲れてうとうとしてしまっていた。気づけば真夜中過ぎの2時ごろ。まずい。外は雨が降り始めていた。すぐ妻の様子を見に外に出ると、いない!まずい!またやってしまった。

雨の中、妻の特徴の“行ったことがある場所にしか行かない”というのを頼りに、駅前を目指した。途中、道に雨と泥に汚れた妻の帽子を発見した。間違いなかった。その場所を通ったのだ。駅前に行くと、ホテルのロビーに妻が座っていた。ホテルの人が呼んだらしく、ホテル前にパトカーが止まっている。ロビーで警察に囲まれている妻い近づくと、「だんなさんですか?」と警官に聞かれ、そうです、と答えた。いろいろ事情を訊かれた後、パトカーで自宅へ。

今度はもう警官数人と私とで、もう力づくで妻を家に入れた。最後に後から応援で駆けつけてきた事情を知らない警官が「だんなならちゃんとしろ!」とか言って来たので、「警察なんて役にたたない!」などと大声で口走ってしまった。ほんとうは「事情も知らないくせに!この病気も知らないくせに!偉そうにするな!」と言いたかっただけなのだが。

部屋に入ると、妻は見慣れた家具や、自分の持ち物を見て安心したのか、静かにしてソファに座っている。

「最初からすんなり入ってくれればよかったのに・・・」

そう思いながらその日は眠った。

ともかく、このドタドタではた迷惑な引越しが完了した。

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