(2011年9月)
実家での生活も3、4ヶ月経った頃に母が公営住宅への申し込みを勧めてきた。
元々実家に引っ越してくる前は、元いたところで公営住宅中心で探していたのだが、実家付近では民間住宅でも家賃の安い物件があったので、そのころは民間の賃貸ばかり探していたのだ。母が言うには、病気もいつまで続くかわからないし、とにかく出て行くお金を少なく、ということだったので、もっともだと思い、それからは公営住宅一本に絞った。早速役所等に市営住宅と県営住宅の申込書を受け取りに行った。
実家の家族にも相談した。あそこがいい、ここがいいらしいなど、いろいろ教えてくれた。なんだか実家の家族からも“公営住宅に入居してくれ、はやく”みたいな願いがひしひしと伝わってきた。これが一種の将来への希望のようなものになっていて、そのおかげで、それまでは今にも崩壊しそうだった家族がなんとか持ちこたえているのではないか、と感じられるほどだった。
ちなみに私は実家が崩壊しないための工夫として、壊れた実家の設備を日々修理する、という活動もやっていた。これはある程度効果があったと思う。いろいろ直した。お風呂、換気扇、外壁のひび割れ、水撒き用ホースなどなど。
それからの毎日の生活は、公営住宅の間取りがついたパンフレットをながめながら、気になったものを見に行く、というパターンになった。どうせ妻が朝から家を出たがるので、ほぼ毎日散歩がてら付近の市営住宅と県営住宅を見て回る、というのが主な活動だった。
付近と言っても、本当に近所で実家から徒歩10分のところから、隣の町の片道徒歩2~3時間みたいなところまで、覚えているだけで12ヶ所は見て回ったと思う。同じ街には2ヶ所しかなかったので、ほぼ両隣の町に遠征だった。
この実際に見て回る、とうのはやってよかった。というのも、妻はなんだか気に食わない住宅の場合、敷地にも入ろうとせず、一瞥してはき捨てるように「ここは住むところではない」的なことを言うか、そもそも近づこうともしないことがよくあるからだった。病気でも豪華好きなところは変わっていないようだ。
そんな中、隣町の実家から徒歩1時間半くらいの場所で駅からもそう遠くない場所にある、とある県営住宅に行ったとき、他の住宅は全部却下だった妻が唯一文句を言わすに敷地内を歩いた物件があった。すぐ隣にある市営住宅に少し前に行ったときには「こんなものは家ではない」的なことを妻は言っていたので、間違いない。ここは妻的には合格なのだ。豪華ではないが掃除が行き届いているようで、小綺麗だった。「ここしかない!」そう思った。そこから空き室が見えた。そして妻に言った。「よし、それじゃあそこの部屋に住もう」。なぜかその時に、その部屋に住めるような気がした。
ところで、市営住宅と県営住宅では申し込みのための条件が異なっていて、市営住宅では前に住んでいた自治体の税金も含めて滞納がないことが条件の一つになっていた。妻的に合格だった住宅は県営のほうだったが、もしかしたら市営にも抽選であたるかもしれないし、そもそも申し込みすらできないので、せっかくうまく配慮してもらっていた引越し前の自治体の税金の滞納分をすべて支払った。結構な金額だったが、そのときにはおかげさまでその金額は支払える額だったし、引越ししたおかげで幾分経済的には楽になっていたということもある。なにより、まっとうな市民として、というと何か変だが、払えるものを払わず行政サービスを受けるのは裏社会の市民みたいなので、結局のところ良かったと思う。
夏の真っ只中に、市営住宅の抽選会があった。妻を連れて、朝実家を出るときには母と兄が声をかけてきて、なにやら期待感を背負いつつ抽選会に臨んだんだが、あっけなく外れた。家に帰って報告すると、案の定落胆した空気に包まれたが、私はなんだか次の県営住宅の抽選会が本命だと思っていたこともあり、落ち込み度合いは軽かった。
そして夏も終わりごろ、ついにその日がやってきた。この抽選に漏れたら実家が崩壊するかもしれない。それくらい重要なイベントになっていた。またしても朝に妻を連れて出かける時、実家はなんともいえない緊張感に包まれていたが、兄も母もあまり期待感を伝えては来ず、母などは「まぁ外れてももう少しここでゆっくりすればいい、家族なんだから協力してやっていけばいい」などと、すっかり外れること前提で喋っていた。
抽選会場に着くと、なんだか熱気に包まれた家族がたくさん居た。その中で、妻と一緒に端っこに座って待っていた。小さな女の子がガラガラ回して玉を出す係りに選ばれ、県内に十数か所ぐらいか、結構たくさんある県営住宅一つひとつについて、ガラガラを回す。一つ部屋が決まるたびに、声が上がる。喜びの声、落胆の声。「もう数年も待ってるのにまた外れた!」なんていう子供連れもいる。
そして、私が申し込んだ例の物件の番になった。実はその時、変な話だが、私も当選を信じ込んでいたのか、ストレスでおかしくなっていたのかわからないが、“いやー、申し訳ない、初めての応募で当選してしまって申し訳ない”などと思っていて、うちの当選が発表されても声は出すまい、と決めていた。
小さな女の子がガラガラを回す。
「○○番です」。
やっぱりうちだった。当選だ。心に決めたとおり、声は出さなかった。もちろん隣の妻は何番か知らないどころか、たぶんここはどこで、何に参加しているのかもわかっていない様子で、関係ない独り言を延々喋っていた。
そして、抽選会が終わり、会場の片付けも始まって参加者がおおむね帰った後、運営の方に声をかけた。「あの、当たったんですけど、手続きしてもいいですか?」。
一瞬きょとんとされたが、「おめでとうございます」と言われ、すぐその後、別の場所にある事務所で手続き書類一式をもらった。いろいろ書く書類があり、別の日に一式まとめて提出するのだ。
帰宅途中、兄にメールした。「おめでとう!」という返信メールが来た。そして実家に着くと、母も兄もものすごく喜んでくれた。もう当然だった。理解不能の病状をもつ妻に振り回され、崩壊寸前だったのだから。母も兄もすごくびっくりしていた。母などは「当選する見込みがあったから実家に戻ってきたのかい?」などと聞いてきていたが、もちろん何の見込みも勝算も計算も、なんにもなかった。ただただ、しょうがないので、その時選べるものの中で、最善のものを選んできただけで、ここまでも何もわからなかったし、それから先についても、なんの勝算も保証もなかった。
公営住宅には自治体によって違いはあるものの、障害をもつ家庭には優遇措置がある。申し込み時の抽選で当たりやすくなっていたり、家賃の面で配慮があったり。うちの場合は、抽選時に一般の人が玉一つなのに玉二つもてたことだ。そのせいで当たりやすくなっていたというのはもちろんある。だが、申し込み人数も結構多い。駅近の人気物件などは30倍~40倍くらいあったりする。うちの物件もそうだった。もっと田舎の競争率の低い物件もあるが、妻のことを考えるとあまり不便な物件は無理だった。なので、高い競争率の中に飛び込んでいったわけだが、あのガラガラを回す女の子が幸運の女神だったのか、それとも妻の状態が酷すぎて、うちの実家が崩壊しそうだから、神様が見かねたのか。
よくわからないが、とにかく次に住むところが決まって、ほんとうに安心した。
コメント
schizoさん、はじめまして。奥様が統合失調症なのですね。
自分も統合失調症になってもう10年以上になります。最近は目立った症状が出る事はないのですが、陰性症状のせいなのか気力が出なかったりします。
この病気は病識がないケースが多くて、服薬を続けるのも難しい場合がありますよね。自分も病識がなくて服薬も続けられなかった時期がありました。でも今は昔に比べればまだ落ち着いたかと思います。
統合失調症もいろいろなタイプがあって奥様も同じように症状が改善されるかはわかりませんが、奥様とschizoさんの生活がより良くなるように願ってます。失礼しました。
アルさん、はじめまして。コメントありがとうございます。10年ですか・・・。大変ですね。お察しします。私自身は身をもっては本人の気持ちはわかりませんが、妻を見ていると本当に大変そうなので。
薬については、妻は一度行くところまで行ってしまい、一時は危ない状態になってしまったので、なかなか難しい感じですが、医師に相談しつつなんとかやってみます。
これからもぼちぼち書きますので、よろしければまたおいでください。