(2011年3月)
3月に入り、障害基礎年金や障害特別手当をもらい始め、失業保険も入ってきていたものの、依然として家計は高い家賃のせいでマイナスだった。何とかしなきゃ、と思いつつ、まだ細々とFXをしてみたり、趣味で学生時代からやっていた楽器を弾いたり、妻と一緒に散歩をしたり、そんなふうに過ごしていたある日、あの大惨事が起こった。
家の中で、妻とソファに座っていたときだった。突然今まで経験したことのないような揺れが襲ってきて、家の中の物がいろいろ揺れたり動いたりして、ガタガタあちこちから音がしていた。私は慌てて妻をダイニングテーブルの下に押し込み、自分も一緒にもぐりこんだ。
妻はわけもわからないようで、相変わらず独り言を言っていた。ともかく無事だった。
かなり長く揺れていたと思う。余震もあったようだ。少しして、落ち着いたのでニュースを見てみようと思い、テレビをつけると、今度はとんでもない光景が飛び込んできた。
テレビに映っていたのは、見たこともないような大波に飲み込まれる街の映像だった。船が、車が、家が、どんどん流されている。浮かんでいるのにまだランプのついたままの車もある。ただ事ではなかった。
そして、ほどなく、計画停電なども始まった。食料品などを買いにスーパーへ行くと、物資が届かないとのことで、いつも物があふれていた棚はガラガラだった。どうも買占めなども一部ではあったようだ。うちは二人しかいないからいいよな、などと妻に話しかけつつ、ろうそくを灯し、買えるものを、最小限買ってやり過ごしていた。
ある日、13日から15日にかけて、体に違和感を感じた。
なんだか体ごと電子レンジに入れられたような感じというのだろうか。びりびりビリビリして熱くなっていた。それまで感じたことのない感覚だった。妻は相変わらず独り言を言ったり、笑ったり怒ったりしている。特に何も感じていないようだったが、私はなんどもビリビリを感じたので、これは何かがおかしい、と感じていた。携帯電話で長電話しすぎたときに、耳がジクジクして熱くなった経験を持つ方はいないだろうか?あれが全身にきたような感じだ。たぶん感覚には個人差があるので、伝わる人と伝わらない人がいると思うが、とにかく私としては悪い予感がしていた。
福島で原発が爆発していたので、それとの関連を疑った。
すぐ引っ越そう。
そう思ったが、一晩考えて妻にもベッドで「引っ越すよ」と告げ、決断した。住処を変えようとして、いろいろ公営住宅などを探していた最中だったし、申し込みも済ませていたが、実家にとりあえず引っ越すことに決めた。数年前の入居の際、妻と二人で話し合って決めたマンションだったが、仕方ない。
余震は多いし、ビリビリするし、お店にはあまり物がないし、何より妻には危機感がまるでなかったので、気をつけながら過ごす、ということも出来そうになかった。
そうなると後は早くて、予約可能な引越し業者に見積もりを依頼し、荷物をまとめ、ハローワークで最後の失業給付を受け取り、そして新幹線に乗った。
妻は私が引越し荷物をまとめている間ずっと、慣れ親しんだソファに寝転がって、ぬいぐるみのネコと遊んでいた。そして、マンションを後にするときには、いつものお散歩のときのように、てくてくとついて来た。新幹線の中でお弁当を食べたりお菓子を出したり、旅行のようで妻は少し楽しそうだった。
実は少し慌てていて、新幹線に乗る前にチケットを一枚なくし、探したり買いなおしたりして、時間が経過してしまい、途中一泊しなくてはならなくなったが、それも妻としては久々の外泊で嬉しかったのか、少し楽しそうだったので今となっては良かったのかもしれない。
それにしても、チケットは妻がなくしたのだとばかり思っていたが、後になって私の荷物の中から出てきた・・・。ドジだ。散々駅で妻に「どこに置いたの?」「覚えてないのか?」とか言っていたのに・・・。
それにしても、その駅でも妻は何も慌ててもいなかった。いつもどおり、話しかけても反応はなく、ぶつぶつ独り言を言って笑ったりしていた。
次の日、実家の駅に着いた。約8年ぶりか。ずいぶんと長いこと実家には帰っていなかった。まあ妻が私の実家が(元気だったときに)ニガテだったということもあり、正月も毎年近場で遊んで、実家には電話程度だったので、実家近くの空気は懐かしかった。駅でちょうどお昼時だったので、土地の名物の食べ物を妻に食べさせたのだが、妻は「毒が入っている」など散々悪態をつきながら食べていた。ちょっとお店に申し訳なかった。とてもおいしかったのだが。
家に着いた。妻は覚えているのか、なかなか家に入ろうとしなかったが、渋りながらも入ってきた。
母に会った。電話では話していたが、久しぶりに見ると少し背が縮んだようだった。相変わらず横幅はあったが。でも元気そうだった。兄もいた。元気そうだった。笑って出迎えてくれた。いろいろ仕事していた頃のことを話したり、兄の今やっていることなどを聞いたりした。
なんだか、間に合ったな、と思った。あのまま、普通にあちらで忙しく仕事をしていたら、もしかしたら帰る機会はなかったかもしれなかったからだ。