⑧障害基礎年金および障害特別手当受給開始

(2011年2月)

市役所経由で申し込んでいた妻の障害基礎年金と障害特別手当の審査結果の通知が届いた。

どちらも認定されていた。

障害基礎年金には等級があって、それぞれ支給される年金額が異なるが、妻の場合は1級だった。この結果を見て、やはり世間的にも相当酷い状態なのだな、ということを改めて実感した。支給月は偶数月で、2か月分が振り込まれる。

障害特別手当のほうは、等級などはないようで、こちらは2月、5月、8月、11月の年4回3か月分が振り込まれるとのことだった。

これは・・・、暮らしていけるかもしれない。この金額にプラスして15万円程度稼げば、月々のだいたい最低必要経費はまかなえるな。そう思いつつ、仕事という面では、何か在宅で出来るものはないか、今後こういう状態で何をやって過ごすか、ということを始終考えていた。

妻は月に数回、数時間ほどまともに喋れるタイミングがあった。その時にFXをしているのを妻が見て、「何をして過ごしているのかも大事なんだよ」と言っていた。要は、なにかそういう投機的なことではなく、地に足のついたことをして欲しかったのだろうと思う。

ともかく、年金と手当の受給が決まったことで、経済的には先行きの不安が減ったが、この頃はまだマンションの家賃が12万円で、それだけで障害年金と手当が吹き飛んで足が出る金額だったので、いずれにせよ早いところ手を打たなければならない。幸いにも1月から雇用保険の受給が始まっていたので、ハローワークで在宅でできる仕事を中心に探しながら、日々を過ごしていた。

寒かったが、散歩や食料品などの買い物に出ると、妻はついて来たので、よく二人で歩いた。これは、夏の終わりごろからよく二人で歩いていたのだが、妻は話が通じないし、外の環境にも反応せず、季節の変化にも無頓着だったが、ひたすら我慢強くついて来るので、ひとつの楽しみのようになっていた。妻の歩きは遅いし、独り言は止まらなかったが、楽しかった。その頃には、妻はたびたび店や自販機の前で立ち止まるのにも慣れていたので、見失うこともなくなり、必要であれば飲み物を与え、お昼などを食べにも行った。おにぎりやサンドイッチを買って、ベンチなどで食べたりもした。

なんと平和でゆっくりと時が流れているのだろう・・・。

ふとそう思った。私が会社で働いていた頃は、朝7時前には家を出て、帰宅は早くても8時、下手をすると真夜中0時を超えることもざらだったので、よく考えると妻が私の姿を見るのは1日のうち数時間しかなかった。妻は仕事に対してはトラウマがあり、専業主婦だったので特に長く感じたろうと思う。

毎日があわただしく、よくイライラしていた。妻も自分の人間関係や、私のあわただしさにもイライラしていた。

週末には、意識して近くのレジャー的な街やショッピングモールなどにも出かけたし、それなりに楽しんでいたが、それでもやっぱり、なんというか、つかの間の休息感が拭えず、基本的に戦闘体勢だったので、100%のリラックスはできていなかったと思う。

それが、なんだか退職してからは全然違った。
もちろんまだお金の心配もあったが、こんなに妻と長い時間を過ごしたことが今まであったか?

こんなにゆっくり景色を見たことが、いままであっただろうか?
こんな近くに川があったんだ。
こんなところにアヒルの親子が。
昼間っから野球してる人たちもいるんだ。
あの子はさっきから何時間も自転車のアクロバットの練習をしている。だんだん上手くなってる。
休日の公園にも結構人がいるんだな。
木の葉が赤くなってきた。
今日は空が青い、っていうか空って高かったんだね。久しぶりに上を見たよ。

なんだか子供の頃の感覚がよみがえってくるような気がした、自然と一体となって過ごしていたような、時間の流れもゆっくりだった頃の感覚だ。

サラリーマン時代、朝から通勤ラッシュにもぐりこみ、会社の複雑である意味シビアな人間関係、顧客、ウォレットシェアの獲得、生産性、マニュアル、アウトプットの質、価値の創出、プロジェクト、リーダーシップ、途切れることのない緊張、そして遅い帰宅。それらにまみれて忘れかけていたものがたくさんあったようだ。

もちろん、人間社会にはたくさんの人がいて、その中でお金を稼いでいくことというのは甘いことじゃないだろう。文字通りたくさんの人がしのぎを削っているのだから。でももしかしてやりすぎなんじゃないだろうか?実はそんなにギスギス頑張らなくても、みんな暮らしていけるんじゃないか?

そんなことを考えていた。もちろん行政の支援を得ることが出来るという安心感の影響もあるとは思うし、今の世の中で、なかなかゆったりと人間らしく暮らしていくということは難しいのかもしれない。

だからすべての人が今すぐに、そんな厳しい状態から開放されるなんて思っていないし、行政の支援を得ている者には言われたくない、という反発があろうことも承知している。

しかし、それでもなお思う。今の社会では、少なくとも大部分のセクターにおいて、多くの人々が経済システムという大きな抗えないものにがんじがらめにされていて、妻や子供を人質をとられ、人間らしさを放棄しつつ、必死で働かなくてはならない状況に置かれているということを。

そして、もしかしたら別のやり方で生きていく可能性だってあるんじゃないか?ということを。

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