(2010年7月中旬)
妻の退院は2010年7月21日だった。
前回の記事に書いたとおり、入院環境は劣悪で、私が休日に見舞いに行ったときなどは、妻は下腹部にホースを入れられ、尿袋を車椅子に取り付け、点滴を刺したまま面会室に出てきたりしていた。
妻はだんだんと意識がはっきりしてきたようで、入院から3週間目くらいにはしきりに「退院したい」と言うようになった。主治医や看護師にもかなり不信感を持っているようだった。私もお見舞いのときに何度も看護師さんに「暑そうだから拭いてやってくれ」とか「縛られて飲み物が取れないのはおかしいからなんとかしてくれ」と言ってはいたが、なかなか改善されなかった。
この頃、薬の大量投与の副作用で悪性症候群という症状が出ており、高熱が下がらず生命への危険がある、ということで、医師の判断で投薬がすべて止められていた。にもかかわらず、妻の意識は非常にはっきりしていた。
妻が退院したがっても、私としてはしっかり治ってからのほうが安全だと思っていたこともあり、「先生が退院して良いというまで待とう。」と妻には言っていた。
しかし、ある日、退院への決定打となる事件が起こった。病院の主治医から、会社で仕事をしていた私の携帯に電話が入り「奥様の両腕が動かないので、すぐに迎えに来て外科医院の外来に連れて行ってほしい」とのこと。私はびっくりしてすぐに病院へ迎えに行き、バスで外科の病院に妻を連れて行った。
外科の診断によると、両腕の肘の部分の圧迫のしすぎでトウコツ神経麻痺という病気になっている、とのことだった。妻はかなり意識がはっきりしていた時期だったが、その頃も依然として両手と腹部がベルト固定されていたことが原因。入院先の主治医、看護師への不信感はかなりピークに達していた。
この日は、外科の診察の後、久しぶりに外食をした。「病院の食事と違っておいしい」と妻は言っていた。快晴だったこともあり、再び外の世界に触れた妻は、もう病院に戻るのはいやだとしきりに言っていた。
その次の日あたりだったかに、会社で仕事をしていた私の携帯の留守電に入院中の妻が病院の公衆電話から電話を入れていた。
「退院したいので、◯◯医師と話をして、迎えにきてください。お願いします。」
はっきりとした口調だった。
私は、留守電を聞いた後すぐ主治医に電話し、退院させたいと伝た。主治医は「お母さまとは話し合われましたか?」と言うので、その後すぐ彼女の母親に電話した。彼女の母親は「もう少し様子を見ましょう。今退院させて悪化したらあなた責任とれますか?」と言っていたが、その後すぐまた妻が病院の公衆電話から電話してきて、どうしても退院するというので、再度病院に電話し、主治医に彼女を退院させると伝えた。
彼女の母親が「責任とれますか?」と言っていたのが気になってはいたが、どちらせよ彼女の両親は“入院させる”ことしか考えていないし(これまでもそうだったから)、彼女の退院したいという希望をかなえてあげられるのは自分しかいないし、責任はすべてとろうと思っていた。
そしてその日、たくさんの入院中のパジャマやタオル、歯磨きなど荷物をまとめておいてもらい、仕事帰りに妻をタクシーで連れて帰った。
妻はやっと開放されたということで、安心したようでもあり、かなり喜んでいた。
後で聞くと、その日、病院内の用務員のような人が、「今電話しろ」とか「なにやってるんだ、もう一回電話しろ」などと元気づけてくれていたそうだ。